INTERVIEW 私×働く喜び

仕事が楽しくなれば、
人生も楽しくなる。

社会に提供できる価値は、 進行ができること。

ー社会人としてのスタートは?

大学を卒業後、日本テレビにアナウンサーとして入社し、社会人生活がスタートしました。
小さなころから「超テレビっ子」。テレビ中心の生活で、テレビを見るために勉強やお手伝いなど他のことをするような子でしたね。いつかはテレビの世界を覗いてみたいとずっと思っていて、大学時代にテレビ局で3年間アルバイトをしました。AD業務で、出演者にお弁当を配ったり、台本をコピーしたり、いわゆる雑用が仕事だったのですが、それでも楽しかった。楽しいということは向いていると思い(笑)、テレビ業界で働きたいという意志を、その3年間でますます強く持つことになり、就職活動でテレビ局を受けたのです。

たまたま縁があって日本テレビのアナウンサー職として採用となりましたが、アナウンサー試験に落ちたら制作職でもう一度受けるつもりでした。

ー就職して身に付けたスキルは?

僕はいわゆるアナウンススクールに通っていたわけではなく、専門的な勉強をせずに入りましたが、入った後にトレーニングをすることでアナウンサーとしてのスキルを身に付けることができました。具体的には、わかりやすく伝えるスキル、司会進行するスキルを身に付けられたことは、今後のキャリアを考えると大きなことでしたね。
日本テレビには14年半在籍し、今はフリーアナウンサーとして働いていますが、僕が社会に提供できる価値は、司会としてイベントなどを進行できること、と胸を張って言えます。

独立して、 世にある仕事の多様さに気づいた。

ー長く在籍した日本テレビを退職して、フリーアナウンサーになったキッカケは?

社会全体が、「働き方改革」に重きを置くようになったことがキッカケです。働き方改革が叫ばれるようになり、ひとりひとりが自分に合った働き方を見つけることが大切になりました。
では、僕はどんな働き方をしたいのか?と考えたとき、サラリーマンとして上司に仕事や労働時間を管理されるのではなく、自分自身で管理する働き方が向いている、と感じたんです。
テレビ局は労働時間が長い職場だったこともあり、会社が働き方改革に取り組み始めてから、僕の年間の労働時間が2017年、2018年と、前年から100時間ずつ減っていきました。任される仕事の責任は重くなっているのですが、僕はもう少し働きたい気持ちがありました。

もちろん、本人の意に反したり、法を破ってまで働くのはありえないことで、改善しなくてはならないのですが、僕自身はもっと新しいことにチャレンジしたくても、働く時間が減ると物理的に難しいと感じる一面もありました。
自分がやりたい仕事を自分で判断し、労働時間も自分で管理したいと考えると、やはり会社員よりはフリーアナウンサーのほうが自分に向いている。そう決意して、家族に相談してから2年、会社に退社の意思を打ち明けてから1年半の準備期間を経て、独立しました。

ー独立してフリーになるとき、どんな仕事のビジョンを描いていましたか?

まず、イベントの司会を中心にやっていきたいと、決めていました。 アナウンサーには、ニュースを読んだり、バラエティの進行をしたり、情報番組のリポーターをしたり、スポーツ中継の実況をしたり、いろいろな仕事がありますが、その中でもイベントの司会が一番得意で、一番好き、と自覚していたからです。
イベントの司会は、異なる利害の調整役なんですよ。例えば、映画の試写会イベントがあったとして、俳優さんや配給会社は映画のことをアピールしたい。でも、取材に来ているメディアは、人気俳優のプライベートを聞きたい。観客がいれば、自分がファンの俳優のかっこいいところが見たい。という感じで、イベントにいるさまざまな人たちの思いや狙いが違うんですよね。
それを調整しながら進行して、異なる立場の人たちに「今日のイベントは良かったよ」と言ってもらえることが、僕にとっては一番達成感を感じられる瞬間です。難しい仕事ですが、やりがいがあります。

もうひとつ、「枠」を超えた仕事をしたい、と考えました。例えば、今まではテレビ局員だったのでテレビがメインでしたが、ラジオやWebなど、メディアの枠を超えた仕事をしたい。また、日本テレビは東京の局なので首都圏を中心に仕事をしていましたが、地域の枠を超えて全国の仕事をしたい、と思っていました。

Genta aoki × Hataraku Yorokobi =

ーその独立前のビジョンと、独立後ではギャップはありましたか?

独立してみて改めて気づいたことは、仕事って本当にたくさんあるんだ、ということ。Webなどインターネット関連の仕事はとても多いですし、企業のインナーイベントの仕事など、外側からは見えない仕事もたくさんあることがわかりました。これは良い意味のギャップで、メディアの枠は想像以上に超えることができました。
想定外なことは、新型コロナウイルスの影響で移動が難しくなり、地域の枠を超えた仕事はなかなかできなかったですね。

再度オファーをもらえることが、 働く喜び。

ー独立前と独立後で一番変わったことは?

独立前は会社に雇用されている立場だったので、上司から割り振られた仕事をしていました。それが、今は自分で仕事を決められることが一番大きく変わった点です。アナウンサーのスキルを活かして仕事をしていることは変わらないのですが、いわゆるメンバーシップ型の雇用からジョブ型の雇用に働き方が変わりました。
それと、以前は仕事の合間にアナウンス室に戻って、仲間たちとコミュニケーションする時間があったのですが、今は仕事が終わったらすぐに現場を出るので、それがなくなったことが寂しいですね。おしゃべり好きな僕にはつらいことです(笑)。
独立をする時、男として、仕事人としては独立に迷いはなかったのですが、アナウンス部の仲間と離れるのが嫌、というセンチメンタルな想いが、最後の足かせになっていたくらい、僕は日本テレビに愛着があったんですよ。本当に心地の良い人間関係が築けていて、嫌な思いをしたことは1回もありませんでした。社内でチームを組んで仕事をすることも大好きでした。

そう悩んでいたころ、オリエンタルラジオの中田敦彦さんと一緒に仕事をしていたのですが、人との出会いについて「人とは出会った時点でもう財産、人財である。だから、立場や地位を離れても、つながりは続いていくもの。続かなかったらそれだけの出会いだったということ」と話していたんですよ。それを聞いて、なるほど、と思って決断しました。最後のひと押しをしてもらいましたね。
実際に、今でも日本テレビの仲間たちとは良い関係が続いていて、日本テレビの仕事も引き続きいただいています。

ー今の青木さんにとって働く喜びを感じられるのは、どんな仕事ですか?

お話したように、僕はセンチメンタルな想いがある人間なので、日本テレビの仕事があると、大きな喜びを感じます(笑)。「古巣に行ける」という、うれしさがあります。
これは、仕事をした人から、もう一度仕事をもらえている、といううれしさでもあります。局アナ時代は、在籍していれば何らかの仕事は与えられて当たり前なので、強く意識をしていなかったのですが、独立すると再度オファーをもらえることが何よりうれしいと、改めて感じるようになりました。前回の仕事が評価してもらえた、ということですからね。

仕事が楽しくなれば、人生も楽しくなる。

仕事が楽しくなれば、 人生も楽しくなる。

仕事の対象となるものを好きになることです。営業であれば売っている商品、アナウンサーであれば取材対象や担当分野を好きになることですね。それは、対象を好きになったほうが、仕事が楽しいからです。日本テレビの大久保会長が「人生において働く時間の比率はとても高い。だから、仕事が楽しい人は人生が楽しい人、とほぼ言える」とおっしゃっていたのですが、本当にその通りだと思います。
それを感じさせてくれた仕事が、「MotoGP」の仕事でした。

ーどのような仕事だったのですか?

担当するまではほとんど興味がなく、バイクレースを観たこともありませんでした。ですが、レースのことを勉強して、バイクレーサーの気持ちを知りたいと大型免許も取り、知識をつけているうちに、MotoGPが大好きになったんですね。それと同時に、MotoGPの仕事がとても楽しくなりました。
MotoGPの取材で海外にも行きましたが、そのときに、アンダルシアの一般家庭での夕食にお邪魔したことがあったんです。バルセロナが東京だとしたら、アンダルシアは九州の一都市、という感じの田舎町なのですが、そこで三世代が揃って夕食をとっていました。決して豪華ではない普通の食卓なのですが、そこで1本500円くらいのワインと一緒に食べて飲む夕食は、どんな高級レストランで食べる食事よりもおいしく感じました。それは、本当の意味で豊かな時間であるから。豊かさとは何か、考えさせられるキッカケになり、自分の人生もこのように豊かでありたい、と思うようになりました。
本来の仕事とはあまり関係のないところで、大事な経験をさせてもらったのも、MotoGPを好きになったからこそ。ありがたかったですし、仕事が楽しいと、人生も楽しくなることを実感しました。

ー素敵なお話ですね!聞かせていただき、ありがとうございました。では最後に、転職を考えている人にメッセージをお願いします。

僕自身も、フリーになって世の中には仕事はたくさんあることに気付かされました。日本はひとつの会社にいて、ひとつのことを究めることが美徳とされる風潮はありますが、仕事は本当にたくさんあるので、自分に合う仕事を模索するのは悪いことではないと思います。今の仕事に違和感があれば、まずは同じ会社の中に自分に合う仕事があるかどうかを考え、そこで見つからなかったら、同じ業界の他の会社、さらに他の業界、というように、少しずつ視野を広げていくのは、とても良いことだと思います。
また、先ほどもお話しましたが、人生において働く時間の比率はとても高いので、働く喜びを感じながら仕事をしたほうが、人生は楽しいと思います。働く喜びを感じるためには、自分が何をしているときが一番うれしいか、それを見つけて、それができる仕事に就けると良いですね。そして、仕事の対象、一緒に働く人、オフィスの空間など、何でも良いから好きになると、仕事が楽しくなります。

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青木 源太あおき げんた

フリーアナウンサー

生年月日 1983年05月07日
出身地 愛知県岡崎市
趣味 エンタメ鑑賞、筋トレ
特技・資格 大型自動二輪、一級船舶
身長 181cm

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