岩手県×釜石市
製鉄業のまちとして知られる岩手県釜石市。日本最古の製鉄所があり、「新日鉄釜石」の名はラグビーでも知られています。岩手県の海岸沿いにあるため、2011年の東日本大震災時には津波が市の中心地にまで達するほど、大きな被害を受けました。しかし、そこから「オープンシティ釜石」を合言葉に、多様な企業や人材とともに協働するまちづくりのプロジェクトが次々と生まれました。かつての製鉄所が代名詞だった釜石市のイメージを、大きく転換しています。
実は、釜石市は昭和中期から人口減が続き、平成に入ってからも製鉄所の高炉停止が重なって、人口減少は止まりませんでした。しかし、今の釜石市は、市外からの人材やビジネスを歓迎し、商業施設が誕生するなど、新しく生まれ変わろうとしています。そのため、移住先としても改めて注目を集め始めました。
そこで今回は、岩手県釜石市の魅力を現地スタッフが徹底解説!意外と知られていない釜石市の「今」と、おすすめスポットをご紹介します!
釜石市は岩手県の南東部に位置し、東は太平洋の三陸海岸に面していますが、北、西、南は北上山地などに囲まれています。三陸海岸はリアス式海岸の入り組んだ地形でさまざまな魚種が水揚げされ、世界三大漁場とも言われる三陸沖にも近いので、古くから漁業が非常に盛ん。今でも、新鮮な魚介類は、釜石市の大きな魅力のひとつです。また、鵜住居にある砂浜が広がる根浜海岸は、オートキャンプ場やドッグランもあり、家族でビーチリゾートを楽しめるスポットです。
漁業とともに、釜石市を古くから支えてきたのは鉄鋼業。日本最古の製鉄所があり、昔も今も鉄鋼業関連の仕事をしている人が多いです。新日鉄釜石はラグビーの名門としても知られていることから「釜石と言えばラグビー」の印象が強い人も多いのではないでしょうか。釜石市はラグビーワールドカップの開催都市にもなり、鵜住居復興スタジアムは、「世界最高のラグビースタジアム」トップ20にも選ばれています。
2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市ですが、震災後のボランティアやインターンシップ参加者は10万人を超えました。さらに市外からの人材の雇用、企業や大学とのコラボレーションなど、新しい知恵や試みを積極的に取り入れる「オープンシティ釜石」を合言葉に、復興が進められています。2014年には震災復興事業として誘致したイオンタウン釜石がオープンし、普段の生活が一気に便利になりました。
釜石市は岩手県にあるため、雪深い厳しい気候のイメージがあるかもしれませんが、実は釜石の冬は暖かく、雪かきはほぼ不要。盆地なので、夏は高温になる時期もありますが、お盆を過ぎれば一気に涼しくなります。海だけではなく、山もすぐ近くにあるので、森林浴で避暑をすることも可能。川ではアユ釣りも楽しめます!
釜石市は、古くから鉄鋼業で栄え、東北有数の重工業都市でした。そのため、地域外の人が仕事に訪れ、そのまま暮らすことも多く、移住者には慣れている土地柄です。また、鉄鋼業の盛衰を経験し、時代の変化を受け入れる懐の深さも兼ね備えています。そのため、「鉄や港を通じて人が集まるまちから、復興を通じて人が集まるまちへ。」と、震災後の復興もボランティアの人々と力を合わせながら、柔軟に対応しています。
復興のためにも移住者を歓迎しているので、手厚い自治体の移住サポートがあります。市外から転入して住宅を購入したり、賃貸住宅に住んだりする人には、釜石での新しい暮らしを応援する「ラフデザインU・Iターン補助金」があります。また、東京23区からの移住・就職を支援する「釜石市移住支援金」、奨学金を返還しながら働く人を補助する「釜石市奨学金変換補助金」、転入者には最長3年間10,000円の家賃減免がある「上平田(かみへいた)定住促進住宅」など、さまざまな角度から支援を行っています。
岩手県沿岸部は、交通アクセスがあまり良くないイメージがありますが、釜石市は別。鉄道では、JR釜石線と三陸鉄道が通り、JR釜石駅から新幹線が停車する新花巻駅までは釜石線で約1時間30分で到着。盛岡駅までは直通の快速はまゆりで約2時間20分で到着します。沿岸部を走る三陸鉄道は、北は青森の久慈駅まで、南は盛駅までアクセスできます。
遠方へのアクセスに便利な空路は、クルマで1時間15分ほどのいわて花巻空港が玄関口。札幌の新千歳空港までは約60分、大阪国際空港までは約1時間25分、福岡空港までは約2時間で到着します。
道路網は、内陸部の花巻や盛岡へは釜石自動車道、沿岸部の久慈や陸前高田には三陸沿岸道路が便利。どこに行くにも、クルマでのアクセスは良好です。
製鉄と漁業で古くから栄えてきた釜石市は、歴史的な見どころがいっぱい。海と山、両方のレジャーも楽しめるので、アクティブな休日を過ごすことができます。もちろん、新鮮な海の幸と山の幸を生かしたご当地グルメも見逃せません!
釜石と言えば、なんと言ってもラグビーのまち。日本選手権を7連覇した新日鉄釜石ラグビー部は「北の鉄人」と呼ばれ、絶大な人気を誇りました。企業チームから地域型クラブチーム「釜石シーウェイブス」となったのは、2001年。その後、大震災により一時活動休止になるものの、全国各地の釜石ラグビーファンから熱い支援が寄せられ、不屈の精神で立ち上がりました。現在はトップリーグの下位リーグにあたる「ジャパンラグビートップチャレンジリーグ」で、トップ昇格を目指して奮闘中です。
釜石市のラグビー熱は非常に高く、鵜住居復興スタジアムでのホームゲームは多くの人が詰めかけ、熱い声援を送ります。もちろん、小学生対象のジュニアチームや中学生ラグビースクールも活発。せっかく釜石に来たのなら、このラグビー熱と一体感を体験しなくてはもったいない!ホームゲームをチェックし、ぜひスタジアムに応援に駆けつけましょう!
近代製鉄の父と言われる大島高任(たかとう)の技術指導により、1856年ごろに建設された最古の洋式高炉跡が「橋野鉄鉱山」。製鉄のまちとして栄えた釜石のルーツになる場所です。2015年には、橋野鉄鉱山を含む産業遺産群「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が、ユネスコ世界遺産に登録されました。
現在は石組みの高炉跡などが残るだけですが、映像やパネル展示で歴史を知ることができるインフォメーションセンターがあり、春から秋にかけては有料の観光ガイドを受けることもできます。自然豊かな森に囲まれた立地で、散策するのも楽しいスポットです。
「かまだんご」は、釜石に古くから伝わるおやつ。小麦粉をこねて作った分厚い団子生地で、くるみや黒糖を混ぜた餡を包み、茹で上げた素朴なおだんごです。ずっしりとしていて食べごたえ満点!
「かまだんご」の名前の由来は、畑仕事で使う鎌に形が似ていることから、と言われています。餡は味噌を入れるバージョンなど、家庭ごとに受け継いだレシピがあり、毎日のおやつはもちろんのこと、お盆など家族が集まる機会には「我が家のかまだんご」が作られています。
釜石市内の道の駅や土産物屋では、手土産用に開発された冷凍の「かまだんご」が市販されています。素材は釜石産にこだわり、一口サイズで食べやすい大きさ。まずは入門編として市販の「かまだんご」を食べてみて、その後地元の人にレシピを聞いて作ってみてはいかがですか?
鉄鋼業のまちとして東北の経済を支えてきた釜石市。現在も大手メーカーの工場が多数進出しているうえに、復興支援で起業する若い世代も増えていて、移住先として改めて注目を集めています。
古くから経済が発展していたので、釜石市には他地域からやってくる人が多く、歴史的に柔軟な気質があるところも、移住のハードルが低いポイント。地域をあげて応援するクラブチーム「釜石シーウェイブス」があり、ラグビーを通じて地元の人と交流する機会があることもうれしいですよね。
仕事には困らず、移住や子育てへの自治体の支援も手厚い釜石市は魅力的ですが、いざ移住するとなると、やはり不安は大きいもの。釜石市は広く、交通の便も地域によって差があるので、移住して「こんなはずではなかった」と後悔するのは避けたいところです。
そんなときは、ぜひアウトソーシングにご相談ください!現地に精通したスタッフが、あなたに合う釜石市の仕事や住まいをご紹介します。迷ったときには、住まい付きのお仕事で「お試し移住」をして、釜石市が自分に合うのかどうか、確かめても良いかもしれません。釜石市に興味がある方は、どうぞお気軽にご連絡くださいね!