造船工場を巡ること40か所! 老舗企業の情熱が生んだ、サクラクレパスの工業用マーカー
手軽に使えるクレヨンと自由自在に色を混ぜることができるパステルのいいとこ 取りをした描画材料「クレパス」。筆やパレットも必要なく鮮やかな描画を楽しめるとあって、子どもの頃にお絵かきで使っていた人も多いことでしょう。その クレパスを1925年(大正14年)に世界で初めて開発した企業が「サクラクレパス」です。
そんなサクラクレパスには、主力商品の「クレパス」と並んで、もう一つ柱 となる事業があります。それが、工場や工事現場で使われる「工業用マーカー」。かわいらしいクレパスとは真逆なイメージの工業製品です。その開発の足跡に ついて、仕掛け人でもあるマーケティング部の河合秀人さんに伺いました。
大正デモクラシーからの美術教育変革がクレパス誕生のきっかけに
――サクラクレパスさんといえば、お絵かき用の描画材料「クレパス」で有名ですが、工場や工事現場で使うマーカーも開発されているんですね。「サクラクレパスがなぜ工業用製品を手掛けているの?」という本題に入る前に、まずクレパスの歴史について教えていただけますか?
河合さん(以下同) クレパスが誕生したのは、1925年(大正14年)。1910年代の小学校では、図画の授業で鉛 筆や色鉛筆、水彩絵の具を使っていました。ただ、鉛筆は折れやすく色付きも悪い、水彩絵具は鮮やかさに欠けているといった欠点がありました。そんな中 1917年頃からアメリカ製のクレヨンが輸入されはじめ、先進的な教育に熱心な一部の小学校ではクレヨンを授業に取り入れるようになったんです。クレヨン なら子どもたちはもっと伸び伸びと絵を描けるはずと、教育者から支持されるようになりました。
こちらがクレパス。多くの人が一度は手にしたことがあるのでは? 当初は文字だけだったパッケージも、1958年頃から幼稚園児から小学生まで幅広い子どもに親しみやすいイラストが入るように(画像提供/サクラクレパス)
時代もちょうど大正デモクラシーの真っ只中。民主主義的思潮は、美術教育 界にも波及したそうです。なかでも図画教育の改革を強く訴えていたのが山本鼎画伯です。フランス留学帰りに立ち寄ったロシアで、思いのまま自由な絵を描い ていた児童画に衝撃を受け、それまで模写が中心だった日本の図画授業を変革するべく日本で「自由画運動」を展開したといいます。
――そんな背景もあり、クレパスが開発されたと
はい。当時は描画材料に乏しく、子どもたちが感じたままの絵を表現するこ とができませんでした。そこで、クレヨンや油絵の具を製造していた弊社が、山本画伯に「今のクレヨンのままで良いのか」と相談したんです。山本画伯が語っ た理想とするクレヨンのアドバイスを受けて、新しいクレヨンの開発に取り組んだ結果、誕生したのがクレパスです。
大正デモクラシーとクレパスがつながるとは驚き。こちらはクレパス製造の初号機。本社のエントランスに飾られている
じつは工場や工事現場でも使われていたクレパス
――クレパスにそんな歴史があったんですね。では、描画材料というカテゴリにとどまらず、工業用品としてのマーカー開発に乗り出されたのはなぜだったのでしょうか?
意外かもしれませんが、じつはクレパスは色々な素材に描けるので、工場や工事現場で使われることが多かったんです。
サクラクレパス一筋25年の敏腕マーケター・河合さん。長年の商品開発により研ぎ澄まされた嗅覚で、より使いやすいアイテムを生み出すことに情熱を捧げる素敵なジェントルマンである
――それは意外です!
たとえば、鋼材にロット番号をマーキングしたり、作業の指示を書き記した り。でも、昔はそうした業界にニーズがあることをしっかりとは把握できていなかったんです。時折、問屋さんから大量に発注がくることがあって、「なんでこ んなにいっぱいオーダーがあるんやろ?」と不思議に思っていたくらい。よくよく調べると、じつは工業系企業にも用途があることが分かり、それならより使い やすい製品を作ろうとなったのが1970年代のこと。そして1978年に発売されたのが、「ソリッドマーカー」です。
こちらがソリッドマーカー。見た目は口紅っぽい質感
――「ソリッドマーカー」は、どのような製品なのでしょうか?
簡単に言えば「ペンキを固形にしたペン」です。ペンキは液だれしたり、刷 毛を使ったりと使い勝手が悪いのに対して、ソリッドマーカーはペンにすることで携帯しやすく使いやすさを重視しました。書く時の摩擦で先端が柔らかくな り、滑らかな書き心地も特長です。ペンキ並みに剥がれないので、屋外で使う木材や金属にも書けます。水中でも書けるくらいなので、雨が降っている時の作業 でも安心です。
――それは画期的ですね! 他にクレパスと違うところはありますか?
高温に強いところですね。溶接現場でも使われることがあるので、150℃ まで熱した面にもマーキングできるように特殊な樹脂を採用しているんです。筆跡については最大約200℃まで耐えられます。また、接着面が強いので、鉄や ガラス、木材、ゴム、皮革など工業製品でよく使われる材料全般のマーキングに適しています。不透明なので濃い色の材料の上でも鮮やかに発色します。
鋼材にもするすると書けて、少し経つとしっかり乾く
造船にターゲットを絞ったマーカーも開発
――見た目はペンですが、塗ったらペンキ感がしっかり出るのが面白いですね。あと、もうひとつ「造船」に特化して開発された工業用マーカーもあるとか。
はい、「鉄鋼用マーカー」です。こちらは、偶然から開発に至った製品なんです。
――偶然……ですか?
「ソリッドマーカー」の反響が良かったので、工業分野に注力しようという ことで、まずはクレパスを広めようと考え、工場や工事現場で使い勝手がよくなるクレパス用のホルダーを開発したんです。その営業で訪れたのが造船会社でし た。結果的に、クレパスは不向きだと分かったのですが、潜在ニーズがあるとピンときたんです。
こちらは惜しくも採用に至らなかったクレパスホルダー
――どんなところにピンときたんでしょうか?
造船では大きな鉄鋼ブロックを組み立てていくのですが、そのブロックには 監督や作業員などさまざまな階層の人からの指示がマーキングされているんです。でも、水性マーカーでマーキングされていて、ペン先もボロボロ。現場の皆さ んは違和感なく使っていらっしゃいましたが、自分たちならより現場に適した製品を作れるはずと考えました。商売としての勝機も十分あると感じ、開発に取り 組むことになったんです。
書きやすければOKではない。工業用ならではの外せないポイントも
――ちなみに、ソリッドマーカーではダメだったんですか?
ソリッドマーカーだと、マーキングした箇所が上からの塗装に浮き出てしまうんです。固形とあって厚みがあるので、塗料を上からかぶせる用途には不向きな製品になります。浮き出てこない塗料にはどういったものが適しているか、研究所で開発を進めました。
塗装に浮き上がってこないことが重要
――研究にあたっては、どのようなところに苦戦されましたか?
やはりペン先が潰れにくいことと、インキの濃度のバランスですね。ペン先 は、外部のメーカーさんに開発を委託したのですが、密度が高いとペン先が潰れにくく、低いと潰れやすくなるのですが、インクの濃度との兼ね合いも考えなく てはいけません。というのもペン先の密度が高ければ高いほど、インクが出てこないのですが、同時に液だれしやすくなるからです。ちょうどいいところを見つ けるまでには時間が掛かりました。
何度も実験を重ねた鉄鋼用マーカー。さらに工業用製品感あふれるデザインに仕上がった
たかがマーキング、されどマーキング。ペン先からインクにいたるまで品質には並々ならぬこだわりを込めた
塗装に悪影響がないかも厳しくチェックされる
――なるほど。インクの原料も見極めが難しそうですよね。
液だれもそうですが、塗装に悪影響がないかどうかも重視しました。という のも国際海事機関の新塗装基準によって、2008年7月1日以降に建造契約をした総トン数500トン以上の船舶は、15年有効な塗装が義務付けられるよう になったからです。特に、造船の内部塗装に関しては、行きは荷物を詰めますが帰りは重さを出すために塩水を入れますので錆びやすいんです。そのため、母材 (基礎となる材料)と塗装の間に介在するマーキングペンにも厳しい基準が設けられました。たとえば上塗りした塗料が剥がれやすくならないかなどがチェック します。そのため、何度も実験して付着性を高めました。
実際に現場で使われている鉄鋼用マーカー。採用に際しては厳しい品質検査が行われる
――マーカーひとつとっても高基準の品質が求められているんですね。
はい。ですから造船会社さんとの商談の場にも製造、品質管理部門の偉い人たちがずらーっと参加されていましたね。採用1社目が決まったときには、胸が熱くなりました。
こちらが実際の提案資料。クレパスを開発した当時の「人の役に立ちたい」という企業DNAはいまでも息づいているようだ
これぞ老舗力! いまでは造船業界でのシェアはほぼ100%
――サクラクレパスさんならではの技術力とはどのようなものでしょうか?
色彩技術に関しては、97年の蓄積がありますが、大きく分けると「微粒子分散技術」「レオロジー制御技術」「色素応用技術」の3つです。
――急に難解な言葉が出てきました。
すみません(笑)。「微粒子分散技術」はインクを構成する微粒子をどれく らい細かくできるかという技術。「レオロジー制御技術」はインクをゲル状にする技術です。この2つの技術に関しては、うちが世界に先駆けてマーカーやゲル インキで実用化させました。「色素応用技術」は色を調整する技術ですが、色のトーンやインクの透明性などを融合させる高度な技術を持ち合わせています。
サクラクレパスのペンはカラーバリエーションが豊富。これも長年の技術があってのこと
――その技術があったからこそ、工業用マーカーの開発が叶えられたんですね。ちなみに、国内の造船所ではどれくらいのシェアなのでしょう?
ほぼすべての企業で採用いただいていますね。
――すごい! 河合さんの気づきがなければ、この世になかった製品だと考えると感慨深いですね。
そうですね。40箇所の造船所を訪れた甲斐がありました。
――そんなに訪問したんですか!
はい。やはり現場を見ないと気づかないこともありますので。現場の人がど ういう使い方をしているのか、不便に感じていることはなんなのか、潜在ニーズなので私が直接赴いて掘り起こすほかありません。当時は、千葉、神奈川、愛 媛、長崎までフットワーク軽く見学させてもらっていました。工業用マーカーの開発以外にも、小学生向けの文具も担当していましたので、午前中に親子インタ ビューをして、午後は造船所に足を運ぶという、なかなか経験できないスケジュールもあったな。懐かしいなぁ……。
しまなみ海道を何度も往復した日々を懐かしむ河合さん。その地道な努力が商品として実を結んだとなれば喜びもひとしおだろう
――現場を見たからこそ開発に活かせたことってありますか?
たとえば、ペンを書く時の角度調整ですね。よく見ていただくと、割と鋭角 になっていると思います。狭いところでもマーキングしないといけないので、できる限り面と平行に近い角度にしました。あとは、ペンの長さと太さは、作業着 のポケットの大きさも踏まえながら作業の邪魔にならないサイズを意識しました。
こうしてみると鋭角さが際立つ
――ちなみに鉄鋼用マーカーの売れ行きは?
上々です。正直、造船の景気にも左右されますが、分野を特化していること を鑑みても、当初の予想を上回る売れ行きかなと思います。ちなみに、造船向けに開発した鉄鋼用マーカーですが、最近は自動車メーカーにも採用いただいてま す。エンジンは塗装することもあるので、マーキングが透けない点も評価してくださっているようです。
――今後、工業用マーカーの分野で注力したいとお考えの業界はありますか?
具体的に、ここというのはありませんが、多岐にわたる現場で働いている 方々がいらっしゃいますので、皆さんにより使いやすさを感じていただけるように改良していけたらと思っています。「現場に役立つ工業用マーカーを開発す る」というのが私たちの変わらないコンセプトなので、もっと現場に足を運ばないとなって思っています。