軍手と歩んで92年、日本のモノづくりを手元から支えてきた「おたふく手袋」の激アツな信念
工場の作業現場から一般家庭まで広く使われている「軍手」。その軍手を作り続 けて92年の老舗企業が、大阪に本社を置く「おたふく手袋株式会社」です。一風変わった社名もさることながら、軍手というニッチな商材を扱うメーカーとし て存在感を発揮しています。そこで、軍手のアレコレや製造に掛ける熱いこだわり、キーマンとなる発明王との意外なつながり、そして新たな挑戦などについ て、マーケティング部の徳永智彦さんに聞きました。
軍手の起源はスイス。そして気になる“おたふく”の謎
――それにしても、ユニークな社名ですね。最初から、“おたふく”だったのでしょうか?
大正15年に、井戸端政一が個人企業として和歌山県海草郡下津町で作業手 袋の製造を始めたことが弊社の原点になります。それから25年後の昭和26年に「大洋手袋株式会社」を設立、昭和37年には本社を大阪市に移しました。社 名が「おたふく手袋株式会社」になったのは、昭和55年になります。
――“大洋”から“おたふく”とは思いきりましたね。なぜ“おたふく”に?
実は社名に“おたふく”とつける前から、いまのおたふくのイラストをロゴ として使っていたようなんです。なぜおたふくなのか、はっきりした理由はよく分かっていないのですが、「多くの福をもたらす会社でありたい」という願いが 込められているとの言い伝えも。社名になったのは、得意先の社長さんから「せっかく『おたふくの軍手がいい』と評判なんだから、会社の名前もおたふくにし てはどうか」と言われたことがきっかけだと聞いています。
――得意先の社長さん、ナイスアドバイスですね。確かに“おたふく”は記憶に残りやすいです。おたふくさんの軍手はどんなところが他と違ったのでしょうか?
実は、違いってないんですよね。
――えっ……?
というのは、半分謙遜で半分本当です(笑)。そもそも軍手は、日本では明 治時代にあたる頃、スイスにあるエドワール・デュビェ社が横編み機を開発して生まれた「編み手袋」に端を発しています。諸外国では普及しなかったようなの ですが、明治39年に日本へ持ち込まれると軍隊で愛用されるように。そこから軍用手袋、略して「軍手」と呼ばれるようになったようです。以降、日本で機械 の独自改良が重ねられて、より手にフィットした軍手を作れるようになりました。なので、作り方について他社との違いはほぼありません。
――なるほど。そんな歴史があったんですね。
ちなみに、一般にも普及したのは昭和45年頃です。島精機製作所が「全自 動シームレス編み機」を開発したことで、指先に継ぎ目がない軍手を作れるようになり生産量と需要が一気に伸びたんです。それまでは、タバコ屋さんなど小規 模な小売店に少量卸しており、値段も高価でしたが、大量生産・大量消費されるように。これは軍手生産史上、最大のターニングポイントだと思います。
軍手の進化を後押ししたのは“和歌山のエジソン”
――それまでの機械では、なぜ大量生産が難しかったのでしょうか?
指先と手首部分は、別工程で縫い合わせないといけなかったんです。当時 は、この仕上げ作業が高齢者や子どものお小遣い稼ぎの内職として知られていました。ところが機械の進化で全体を一気に1本の糸で編めるようになり、生産工 程や時間の短縮につながりました。また、指先のゴワゴワ感がなくなったので、仕事で毎日軍手を使う方にとっては、着け心地がかなり良くなったと思います。
ちなみに、島精機製作所の創業者で現会長の島正博さんは現在81歳で、“和歌山のエジソン”と呼ばれる発明王として知られているんです。島会長は、10代からいろいろな機械を発明していて、手袋編み機の特許を取得したのも16歳の頃だとか。
――そんなに若い時から! 天才ですね……。
いや、ほんとにすごいんですよ。ちなみに、いま全身縫い目なしで覆うこと ができる無縫製機械の開発にも成功されて、世界のファッションデザイナーから「これまで叶わなかったデザインが実現できるようになった」と感謝されている みたいです。和歌山の本社エントランスには某有名デザイナーから贈られたフェラーリが飾られていますよ。
――すごい!
あと、移動はすべてヘリコプターですからね。ちなみに、当社創業者の井戸 端政一は島会長と同郷だったこともあって、編み機の開発にあたっては、いろいろアドバイスをしたり、最初に作った機械を購入したり、出資したりと協力して いたそうです。創業者と懇意だったこともあって、島会長は当社の社員にもとてもよくしてくださるんです。都内の会合などでお目にかかると、うちの大阪本社 の社員に「一緒に帰る?」ってヘリの相乗りを誘っていただくなんてことも。でも、和歌山で降ろしてもらってから大阪に戻るなら、東京から新幹線の方が早い んですよね(笑)。
――島会長の話はこれくらいにして、軍手のお話を……(笑)
すみません(笑)。でも、島精機製作所なくして軍手の進化はあり得ません ので。というのも、軍手の縫い方自体はずっと変わっていないんです。時代や用途に応じて、素材や厚みが細分化していったかたちですね。「指先感覚がいい軍 手がほしい」「海水に浸かったロープを引き上げる作業をするのでもっと丈夫なものがほしい」など、軍手とひとまとめにできないくらい、多岐にわたるニーズ があります。さまざまな要望に応じていたら、軍手だけで60種類を超えました。
軍手にもランクがある! シップの“フワフワ”も軍手の糸に
――その60種類はどのように分類されるのでしょうか?
大きく分けるとすれば、「純綿」「混紡」「特紡」の3つです。「純綿」は 綿100%の天然素材オンリーで編まれたタイプです。軍手の中でも高級品に位置付けられますが、吸水性や肌へのやさしさ、品質の安定などあらゆる側面で優 れています。「混紡」は綿に加えてポリエステルなどの化学繊維を混ぜ合わせた糸で編んだものです。この「混紡」に近いものではありますが、「特紡」は洋服 やタオルなどの製造過程であまった未利用繊維をかき集めてきて、紡績しなおした糸で編んでいます。シップの上部についているフワッとした繊維を入れること も。その都度余っている繊維でつくるので、品質は安定しにくくなります。ただ、コスト的には「特紡」が最も安いです。
――厚みもそれぞれ違うようですね。
軍手の厚みは「糸の本数」「糸の太さ(番手)」「針の密度(ゲージ※単位 は「G」で表す)」の組み合わせによって決まります。たとえば、糸の太さに関しては番手という単位で示されますが、数字が大きくなるほど糸は細くなりま す。針の密度については、手袋編み機には「5G、7G、10G、13G、15G、18G」の5種類が適用されます。こちらは数字が大きくなるほど網目が細 かくなります。軍手では「10番手or20番手×7G」の組み合わせが多いです。
――最新の軍手だと、どのようなものがありますか?
滑り止めに黄色のポチっとしたゴムがついた軍手はよく目にされると思いま すが、それが進化して手の平全体をゴムでコーティングした軍手が最新になります。もはや軍手とは呼べない気もしますが、7Gの軍手をベースに、滑り止めの 機能を高めたものですね。引越し屋さんなど、ダンボールを持つ仕事の方に愛用いただいています。手の平部分はゴムの強度があるので、手袋自体は13Gの細 かい網目にして、よりフィットするようなものにしました。
プロフェッショナルの手はびっくりするほど繊細
――これからも軍手は進化していくんでしょうか?
これからはコーティングすると蒸れやすいという課題に対して、吸汗性を高 めたり臭いを抑えたり、改良の余地はあると思います。でも、種類は出尽くした感があり、これ以上の進化は考えられないかなと思っています。島精機製作所も 軍手用にはもう新しい機械は作っていませんので、今後何か新しい産業や技術が誕生して、要望があればそれに応じて開発するかたちになると思います。
――業種や職人さんによって、どのタイプを使うかこだわりがありそうですね。
かなりありますね。特に手作業をともなうモノづくりに携わっている方は、 皆さん品質の変化に対して驚くほど敏感です。大工さんは「純綿じゃないとダメだ」とおっしゃってくださる方が多いです。あとは、工場ではすごい大量の手袋 を購入していただくのですが、品質がちょっと変わっただけでもすぐ「弱くなった」「薄い、これはあかん」とご意見を頂戴することも。我々社員でも、見た目 も厚みも触った感じも違いが分からないほどの差なのですが、毎日使っている方にとっては、差がすぐに分かるみたいです。だからこそ、常に品質向上に努める必要があります。
――先ほど、お客さんのニーズに応えるべく作り続けたら60種類近くになった、というお話でしたが、品質向上も含めてどうやってリサーチしているんですか?
それは、ナンパですね。
――ナンパ……ですか?
私なんかは、解体工事のお昼休憩を見計らい、名刺と商品を渡して「この商 品差し上げますので、一度使っていただいて感想を聞かせてもらえませんか?」と飛び込み営業をかけることもあります。だいたい、気持ち良く協力していただ けますね。あとは、親しくさせてもらっているお店にお願いして手袋売り場に立たせてもらい、軍手を買いに来た人を見つけては声を掛けて話を聞くこともあり ます。
――すごい行動力ですね。
やはり生の声は開発に役立ちますのでね。特に、大阪の方は遠慮なく好き勝手言ってくださるので、とても助かります(笑)。この前なんか、うちの商品を買ってくれているのに、怒っている人がいたんですよ。
――何でですか?
「これ手にぴったりフィットしますって書いてるけど、全然せーへんやないか」と。それで手を見せてもらったら、手が肉厚で指が短い方だったんです。「名刺をやるから俺の手にぴったり合うやつができたら送ってこい」ということで、その方に合うような手袋を開発しました。
――その出会いだけで開発とはすごい。
完成したものを送ったら電話をくださって、「これや。やればできるやないか。あと5つ送ってこい」と(笑)。でも、その代わり「現場で俺が宣伝してやる」とおっしゃっていただけて嬉しかったですね。
一番いいのは不満を聞き出すこと。その積み重ねですね。ホームセンターでも安いものがたくさん売られていますが、プロの方たちはすぐに破れるから駄目だということでうちを頼ってくれます。
軍手づくりの変わらぬポリシーをあらゆる作業用品で叶えたい
――違いが分かる方に選ばれているんですね。
それもこれも、創業者の「真面目にいいものをつくる」という理念を守って きたからこそかなと思います。軍手って価格競争が激しくて、薄利多売じゃないと利益が出にくい商材なんです。だから、綿100%じゃないのに、そう謳って ちょっとでもコストを抑えようとしている会社もあるくらい。でも、化学繊維が多い軍手だと、溶接の仕事をしている人の手に火花が散ったら溶けて火傷のリス クが高まってしまいます。それを考えたら、いくら儲からないからってそんなセコいことできないですよ。使う人のことを第一に考えて、正直な商売をしようと 頑張ってます。
――頭が下がります。
利益を出し過ぎると逆に「これは儲けすぎや」と社長から怒られますから ね。とはいえ、最近はホームセンターのプライベートブランドをはじめ、さらに安価なものが登場してきました。さすがに軍手だけでは戦えないので、最近は安 全靴やインナーウエアなど、作業に関するものにトライしています。
――商材がガラっと変わりましたね。
はい、でもこれが結構売れて事業の柱として成長しました。私も軍手メー カーの安全靴なんて買ってもらえるのかなと半信半疑だったので、安全靴を購入してくださった仲のいい社長さんに、「よく買ってくれましたね」と聞いたこと があるんです。そしたら、「おたふくとは長年の付き合いで分かってる。何かトラブルがあってもケツ拭くやろ。ちゃんと面倒見てくれるって知ってるから買っ たんや」と。
――商品そのものもさることながら、真面目な仕事ぶりが認められていたということですね。
そうかもしれません。あと最近は、インナーウエアが思わぬところでヒット してるんです。ロードバイクとか自転車乗りの方たちのSNSで「皆、買いやぞ」と評判が広まって、一切広告を出していないのにTwitterのフォロワー も約4000人まで増えました。ちなみに、9割以上は自転車乗りの方です。品質もかなりこだわっていますが、スポーツブランドが出しているウエアの3分の 1くらいの値段で販売しています。皆さん、「おたふくって何や?」と検索してくださっているのか、ホームページのアクセスもかなり増えている。社名も功を 奏したのかなと思います。
――まさに、多くの福を呼び込みましたね。
そうですね。軍手もそうですけど、「素材はいいものを使うけどデザイン性 やカラーバリエーションはそこまでこだわらない」でいいと思うんです。インナーウエアにしても生地はいいものを使うけど、コストを抑えるために曲線の少な い縫製デザインにしたり、カラー展開を少なくして売れない色の不良在庫を減らしたりするなどの工夫をしています。それがおたふくなんです。おたふくがい いって言ってくださるお客さんのことを考えると、高いものを作ってブランドにしようという考えは、はなからありません。ちょっと高くしました、でもめっ ちゃかっこ良くしてみました、なんてことしたら「おたふくにそんなの期待してないから」ってなりますしね。
――でも、おたふくのロゴって一周まわってかっこいいというか。ロゴプリント入りのウエアがあったら売れるんじゃないですか。
じつは、ロードバイク用のジャージを作っている会社とうちのTwitterで、4月1日のエイプリルフールに「おたふくのロゴが入ったサイクルジャージを発売」と発信したら過去最高にファボってもらいました。ほんまに作ってもいいんちゃうかって(笑)。
――すみません、また軍手から話が逸れてしまいましたが、おたふく手袋さんのひたむきなモノづくりに感銘を受けました。
これからも、おたふく手袋として真摯な姿勢を忘れず、手元のみならず作業で身に着けるものに応用して、日本のモノづくりを支えていきたいと思っています。