13歳で芸能界に入るも、 仕事が少なく暇な時期が長かった。
ー橋本さんが社会人としてのスタートを切ったのは?
芸能界に入ったのは、13歳のときです。
もともとは内気で人見知りな性格だったのですが、小学校6年生のときに大ヒットしたドラマ「ひとつ屋根の下」が大好きで、芸能界に入ったら「ひとつ屋根の下」の世界に入れると思ったことがキッカケです(笑)。芸能界に入りたくても、実家は山形だったので方法がわからず、親に相談したら「大きなコンテストに受かったら入っても良い」と言われたんですね。そこで、自分で見つけた「国民美少女コンテスト」に応募して、演技部門賞をいただき、芸能界に入ることができました。
芸能界入り直後の13歳から16歳ぐらいまでは、CMの仕事もありましたし、大きなコンテスト出身の恩恵を受けて恵まれていたと思います。不器用でNGを連発したり、撮影の前に太ってしまったり、うまく結果を出すことができなくて。16歳のときにグラビアデビューしたのですが、ボイストレーニングをすれば下手だし、モデルをやるにはポッチャリしているし、演技もできないし、もうグラビアしかない、という消去法でした(笑)。グラビアの撮影も山形の田舎から出てきたばかりでスクール水着しか着たことがないのに、ビキニがいっぱい置いてあってビックリしてしまって。うまく笑うことができなくて、ほんとに劣等生でした。
結局、27歳ごろになってようやく、コンスタントに仕事をいただけるようになったんですけど、それまでは鳴かず飛ばずでしたね。
ー13歳でデビューして、世に知られるようになったのが27歳。いわゆる“下積み”が長かったのでしょうか?
中高のときは学校もあって忙しくしていたのであまり感じなかったのですが、18歳から26歳あたりまで、暇な時期が長かったです。当時所属していたオスカー事務所の同期や後輩はどんどん売れていくのに、私だけ仕事がない。家賃や最低限のお給料は事務所が払ってくれていたので、住む場所にも困る、ということはなかったのですが、やっぱりお金がなくて1食10円未満で何とかしていたときもありました。お米は実家の山形から送ってもらっていましたが、乾燥わかめを増やして醤油をかけたものだけがおかず、ということもありました(笑)。
派遣社員として、 さまざまな仕事を経験!
ー仕事がなくて暇な時期は、何をしていたのですか?
お芝居のレッスンは続けていたのですが、なかなかうまくならなくて。違う環境で学ぼうと考えて、いろいろな監督のワークショップに参加していました。
あとは、事務所では禁止されていたのですが、こっそりアルバイトもしていました。22歳から26歳までは派遣会社に登録して、コールセンターのテレアポ、倉庫の仕分け、ケータリングなど、派遣社員としていろいろ経験しました。居酒屋のランチタイムのアルバイトもしてましたね。まかないが出て1食浮くから、すごくうれしかった(笑)。
ー仕事がない時期は、将来への不安があったと思います。なぜ辞めずに頑張り続けることができたのでしょうか?
仕事がない時期は、もちろん漠然とした不安がありました。芸能界で私と同じような立場の人はたくさんいて、年月が経つに連れ、諦めて田舎に帰る人も珍しくありませんでした。
私はとにかく、自分を忙しくして時間を埋めることで乗り越えましたね。コミュニケーションをとることが苦手だったので接客のアルバイトをやってみたり、話すことが苦手だったのでアナウンススクールでフリートークの練習をしたり、安く受講できるカルチャースクールを探してエッセイ教室に通ってみたり。少しでも興味があること、好きなことを探して打ち込むことで、ふさぎ込むこともなく頑張ってこられたと思います。
あと、一緒に仕事した人から「きみは大器晩成型だから大丈夫」と言われたことも、支えにしていました。
Manami Hashimoto × Hataraku Yorokobi =
大手事務所の退所を決断。 事務所移籍後、グラビアでブレイク!
ーお仕事が少ない時期が続いている中、ターニングポイントになったことは?
仕事がなかなかうまくいかない中で、20代なかばで自分のキャリアプランを考えるようになりました。自分なりにとても悩み、考えた結果、自分の可能性にもう一度賭けてみようと、事務所を移籍することを決断しました。一度いまの環境を捨ててゼロから始めようと、覚悟を決めたのです。
そして、25歳のときに事務所を移籍しました。オスカーは第2の実家のような、守ってくれる事務所だったので、親も友だちも大反対でしたよ。それでも自分の考えで押し切って、新しい事務所を探したのですが、すでに25歳で目立ったキャリアがあるわけではないので、10社は落ちたと思います。なんとか今の事務所に拾ってもらいました。
ー事務所を移籍してから、グラビアでブレイクしましたね。
当時はAKBが全盛期で、雑誌のグラビアもAKBが席巻して、グラビアモデルは肩身が狭い時期だったんです。そんな中、若いアイドルがグラビアを飾っていた反動で、大人のセクシーを売りにした壇蜜さんが大ブレイクしました。幸い、私もその路線に乗ることができました。運が良かったですね。
ーグラビアからバラエティ、ドラマ、映画とマルチに活躍されていますが、活躍の場が広がる転機になった仕事は?
バラエティでは「しゃべくり007」です。出演した後に、一気に地上波バラエティの仕事でスケジュールが埋まりました。
お芝居では、NHK大河ドラマの「真田丸」と朝ドラの「まんぷく」です。実は大河ドラマは19歳のときに「武蔵」にセリフがない端役で出て、そのときにリハーサルなどを見て、現場の雰囲気に感動しました。いつかまた戻ってきたいと思い、日舞や着付けを習ったりしていたので、セリフのある正妻役をいただけて本当にうれしかったです。朝ドラ出演は周りの反応が一気に変わりました。街を歩いていて声をかけられたり、セクシー路線で売り出したときよりも明らかに人が近づいてくるようになりました(笑)。
Manami Hashimoto × Hataraku Yorokobi =
結婚して、 仕事もメンタルも大きく変化。
ーブレイクしてから、自分自身に変化はありましたか?
仕事がない時期は自分に自信がなかったのですが、仕事がコンスタントに入るようになり、ファンの方も増えると、自信がつきました。
大河ドラマはファンが多いので、配役発表のときには批判の声もあったのです。すぐにエゴサーチしてしまうタイプなのですが(笑)、賛否あるということは私のことが気になっているということだから、何も反応がないよりも良いと思っています。もちろん、少し傷つきますし、反省材料のひとつにはしますが、否定の声があるのは気になる存在だからこそ、と思うようになりました。
ー朝ドラ「まんぷく」は歯医者さんと結婚される役でしたが、プライベートでも同時期にお医者さんと結婚されましたよね。
役と重なってましたね(笑)。転機といえば、結婚は大きかったと思います。
それまでは男性ファンの視点を意識した仕事が多かったのですが、ガラッと変わりました。お芝居でお母さん役をもらったり、バラエティで料理を作ったり。また、精神的にも変わりましたね。以前はすぐに太ったり痩せたり、自分自身を管理できていませんでしたし、メンタルも不安定で仕事が終わっても誰かと一緒にいたくて、外食や飲みに行ったりと家にいるのがイヤでした。でも結婚してからは、帰る場所がある安心感からか、自分自身を管理できるようになりました。周りからも、「前はフワフワしていたけど、今は地に足がついてすごく良くなった」と言われます(笑)。
ー今後はどのような仕事に力を入れていきたいですか?
自分自身の不甲斐なさに後悔してきた時期が長かったので、今はいただいたお仕事に120%の準備をして臨むようにしています。今はいろいろな仕事をさせていただいてますが、どの現場もとても楽しいので、与えられた仕事は今後も一生懸命やりたいと思っています。
特にやりたい仕事は、舞台ですね。19歳のときに小さい劇場で主役をやらせていただき、泣くシーンなのに涙が出なかったり、お芝居もうまくできなくて怒られてばかりでしたが、徐々にクチコミでお客さまが増えて、千秋楽には自然と涙が出てきました。そのときに、演じる方も心が動かされるのが舞台なんだと面白さがわかり、お話があったら積極的に出演しています。最近では三宅裕司さんが主宰する「熱海五郎一座」に出させていただき、コメディのおもしろさを学ばせていただきました。
今は小劇場などでストレートプレイのお芝居を演じたいと思っていて、劇団の客演などに呼んでほしいなと思っています(笑)。
ー13歳から芸能界でお仕事されている橋本さんですが、もし芸能界に入っていなかったらどんな仕事をしていると思いますか?
実際に芸能界から転職しようと思ったことはないですが、どんな仕事ならできるかな?と考えたことはありますよ。例えば社長秘書とか(笑)。どんな仕事なのか全然知らないので、イメージだけなんですけどね。
あとは食べることが好きなので、雑誌のライターさんとか、神楽坂あたりで小料理屋の女将さんとか、やってみたいですね。
仕事は生きがい。 やりたいことがあれば、 ぜひチャレンジを!
ー橋本さんにとって「はたらくヨロコビ」とは?
私は仕事が生きがいなので、現場にいられるだけで幸せです。この仕事の醍醐味は、毎回いろいろな人に会うことができて、その人たちと一緒に作り上げていけること。初めての人と仕事をすると、今までにない自分を引き出してもらえることが楽しいです。
また、自分を見て元気になる、と言ってもらえることも喜びです。以前、週に3回深夜の生放送をやっていたことがあって、そのときに「疲れて帰ってきても、あなたの笑顔を見ると頑張ろうと思える」と言ってもらったことがあり、私自身が「そんなふうに思ってくれる人がひとりでもいるならば、もっと頑張ろう」という気持ちをもらえました。ブログのコメントやTwitterのリプライも全部見て、元気をもらっています。
ー橋本さんのお話を聞いていると、前向きな姿に元気をもらえますね。ありがとうございました!では最後に、転職を考えている20〜30代の人に向けて、メッセージをお願いします。
動きたいときに動けるのは、若い世代の特権だと思います。転職をためらうのは、「今の職場の方が安定しているのでは?」「親が反対するのでは?」などと考えるからだと思いますが、自分の意志とは違うところで転職をあきらめると、あとで後悔するのではないでしょうか。
結婚したり、子どもが生まれたりすると、責任が生じて動けなくなることもあります。やりたいと思ったことをやれる時期は限られているので、ぜひ挑戦してほしいです。
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橋本 マナミはしもと まなみ
俳優・グラビアアイドル
生年月日 | 1984年8月8日 |
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出身地 | 山形県 |
血液型 | AB 型 |
サイズ | T.168cm |
趣味 | 映画、舞台鑑賞、ゴルフ、読書 |
特技 | 競馬、乗馬、スキー、着付け、日本舞踊、早口言葉 |