


全てのマンホールに出合いたい
マンホーラー・白浜公平さんの果てしない旅
全てのマンホールに出合いたい
マンホーラー・白浜公平さんの果てしない旅
街にはさまざまな工業製品がある。規格化され、量産されたそれらは同じように見えて、じつはモノによりデザインや用途がぜんぜん違っていたりする。
たとえばマンホール。蓋(ふた)に郷土の名産などが描かれた「ご当地マンホール」はよく知られているが、それ以外にも年代や製造元によってさまざまな意匠があるようだ。
そんなマンホール一つひとつの違い、味わい深さに魅せられたのがマニア歴20年の白浜公平さん。全国津々浦々、1万種類以上のマンホールをカメラに収めてきたというベテラン「マンホーラー」である。
今回は白浜さんと街中のマンホールを鑑賞しつつ、その多様性や味わい方について教えていただいた。
鋳物の街・川口はマンホールの聖地
訪れたのは埼玉県川口市。JR川口駅前から徒歩10分圏内のエリアに、魅力的なマンホールが点在しているという。
「川口は鋳物産業で栄えた街で、今もマンホールを製造している昔ながらの工場があります。こちらのマンホールを見てください。『鋳物のまち』って刻まれているでしょう」(白浜さん、以下同)

「これは長谷川鋳工所さんという地元の会社が製造したマンホールです。業界最大手の一つで、建物に付随する『建築系マンホール』の蓋を得意としています。国立競技場のマンホールの蓋など、ありとあらゆる建築系マンホールが長谷川さんのものだったという時代もありました」
確かに、この「H」のマークはよく見かける気がする。なお、川口駅前には長谷川鋳工所が手がけた超希少なマンホールもある。

「JRのマンホールでは唯一の、デザイ ンものの蓋です。このマーク、じつはJRと全く関係ないんですよ。長谷川鋳工所の先々代社長の夢に出てきたマークだそうで、『これを採用したら絶対に会社 が成功するから』と作らせたそうです。実際にはこの一枚以外に注文がこなかったようですが、結果的にここにしかない希少な存在になりました」
まさに一点もののマンホール。マンホーラー的にも歴史的価値の高い一基であろう。
これは踏むのもためらわれるが、白浜さんいわく「マンホールの蓋は踏んだ方がいい」らしい。
「そもそも、踏むために作られたものですからね。逆に山頂にあるマンホールなど、踏まないで放置されている蓋はかえって錆びてしまう。踏みつけるのではなく、『磨く』という意識で踏んでください」

一つひとつのマンホールにヒストリーがある
のっけから学び多きマンホールの旅。思った以上に奥の深い世界のようだ。
改めて、駅周辺のマンホールを白浜さんにガイドしていただこう。


「こちらは川口市のマンホールで、市の花である『鉄砲ユリ』と特産品の『竹ざる』がデザインされています。これ、よく見るとすごく手が込んでいるんですよ。竹ざるの『編み込み』の部分までしっかり再現されているんです」
「あと、川口は商店街のマンホールが特徴的です。タイル張りの綺麗な蓋で、いろんな絵柄があるんですよ」



なるほど、どれもかわいらしい。こういうデザインが華やかなものはビギナーにも分かりやすく、マンホーラーへの入口としてとっつきやすいのかもしれない。
しかし、マンホールの楽しみはそうした見た目だけに止まらない。白浜さんクラスになると、そのマンホールが設置された「背景」にまで思いを馳せるという。

「NTTの蓋の多くは、川口の吉村工業さんが製造しています。元々は丸い郵便ポストを作っていた会社です。昔は郵便と電話は逓信省(ていしんしょう)という中央官庁が管轄していて、そのつながりで日本電信電話公社(現NTT)のマンホールの蓋も吉村工業さんが手掛けるようになったようですね。ちなみに、Tの字を組み合わせたパターンは昭和24年頃に伊藤哲男さん(『マンホール鉄蓋』著者)が考案したもの。Telephone(テレフォン)とTelegraph(テレグラフ)の頭文字からきています。そういう、それぞれのマンホールが持つ背景を知ると、より愛着がわいてきますね」



他にも、蓋に描かれたイラストやフォントから年代を推測したり、ちょっとしたデザインの違いを手掛かりにメーカーを割り出したりするのが楽しいという。マンホールに限らず、マニアが過ぎるとメーカーを割り出しにかかる傾向があるような気がする。


マンホールから「街の過去」が読み解ける
白浜さんによれば、マンホールはその街の歴史を示す「史跡」としての役割も果たしているそう。その存在により、街の過去の姿が分かるというのだ。

たとえば雑草に埋もれかけているこちらのマンホールは、かつて川口で稼働していたサッポロビールの工場敷地内で使用されていたもの。工場は2003年に閉鎖し跡地は再開発されているが、新しく建ったマンションの敷地内にマンホール の蓋のみが移設され、ひっそりと往時の名残をとどめている。



自分はコレクターではない。マンホーラーとしての矜持
しかし、マンホールの蓋がこんなふうに保存されるのは稀だと白浜さんは言う。どんなに歴史的価値が高いマンホールでも、役目を終えれば廃棄されてしまうことがほとんどなのだとか。
そこで、白浜さんは各地の再開発計画などに目を光らせ、撤去されそうなマンホールがあれば何とか保存できないかアクションを起こすそうだ。
「静岡県の磐田市に『光明電気鉄道』という、昭和初期に6年間しか運行されなかった幻の鉄道会社があったんですが、そのマークが入ったマンホールの蓋を磐田駅前で見つけたんです。それをあちこちで発信していたら、駅前の整備をする際にその蓋を市の埋蔵文化財センターに保管していただけることになりました。これは成功例ですね」

もちろん、自ら所有したい気持ちがないわけではない。しかし、白浜さんはコレクターとして自分の欲求を満たすより、愛すべきマンホールの歴史的価値が認められることを望んでいるようだ。マンホーラーとしての矜持がうかがえる。
「どんなに希少な蓋でも、『私にください』とは言いません。自分で持ってしまうと、私が死んだ時にゴミになってしまう。そういう残し方はしたくないんです。古いマンホールはその街の歴史ですから、地元の図書館とか、歴史館などに置いてもらうのが最も望ましい形だと思います。だから『これは貴重なものなんです』と訴えかけることで、少しでも多くのマンホールが救われればと考えています」
マンホール探しの旅に終わりはない
駅周辺をぶらっと巡っただけでもマンホールの魅力、白浜さんの思い入れは十二分に感じ取れたが、せっかくなので腰を据えてじっくりとお話を伺ってみたい。



さて、改めて白浜さんはそもそもなぜ、こんなにもマンホールを愛してしまったのだろうか?
「きっかけは十数年前、街を歩いているときにたまたま見つけたマンホールでしたね。2002年につくば市へ編入合併した茎崎っていう町があるんですけど、町名が消えてからも『くきざき』の文字が入ったマンホールがそこに残っていたんです。合併すると看板なんかはすぐに取り換えるんですけど、まだ使えるマンホールの蓋はそのままだったりする。これは面白いなと興味を持ち始めました」

それからは、もう手あたり次第にさまざまな街のマンホールを巡った。日帰りで巡れる場所を狩り尽くすと、泊まりがけで遠征するように。探せば探すほど、感動的な出合いがあったという。そのいくつかを紹介していただいた。






とまあ、挙げればキリがないほどバリエーションに富んでいる。
それでも、未だ白浜さんのマンホールへの情熱はまるで尽きることなく、「行きたい場所が次々と出てくる」というからまさに筋金入りである。
「遠方はあまり探索できていませんし、東京の道ですら全部歩けていない。全てのマンホールを制覇するくらい極めたいと思っています。それに、これまでに見つけたマンホールについてもまだ由来を調べ切れていないものがあったりして、時間が全然足りませんね」
もはや趣味などという生易しいものではなく、一生をかけた壮大なライフワーク。全国の未知なるマンホールを求め、白浜さんの果てしない旅は続く。