名刀「正宗」のDNAを受け継ぐ山村綱廣さん(74歳)
「先祖が確立した技術で最高の日本刀を完成させたい」
洗練された曲線のフォルム、極限まで研ぎ澄まされた切れ味――世界でも類をみない美しい刃物「日本刀」。およそ900年遡る平安時代末期に作られはじめ、鎌倉時代には機能性と芸術性を兼ね備えるものへと進化したそう。現代では、日本を象徴する伝統ある美術品として、技術が守り受け継がれています。
日本刀のなかでも、極めて優れているとされ、名刀として名高いのが「正宗」です。正宗とは、鎌倉時代に活躍した刀匠「五郎入道正宗」が手掛けた刀のこと。「相州伝」と称される作風を確立させた人物で、本人はもとよりその系譜は北条氏から徳川家康まで名だたる武将たちに請われて、日本刀を納めていたそうです。
山村綱廣(やまむら・つなひろ)さんは、正宗から数えて二十四代目の子孫。現在、刀匠として、鎌倉駅徒歩3分の場所で「正宗工芸美術製作所」を営んでいます。伝統を受け継ぐ覚悟、そしてはたらくヨロコビに迫りました。
古代から続く日本刀は5つの工法で作られる
山村さんにお話を聞く前に、日本刀の作り方について工程ごとに簡単にご紹介しましょう。
1)たたら
刃の原料になる「玉鋼(たまはがね)」を炭火の炉に投入し、鉄を抽出する方法。酸化している砂鉄を炭素と結合させることで、純度の高い鉄を取り出すことができる。古代から近世にかけて発展した歴史ある製鉄法だ。
2)積み沸かし
板状にした鋼を「てこ棒」と呼ばれる鉄の棒の先端に積み上げ、炉の中に入れて熱し、一つの塊にしていく。
3)折り返し鍛錬
不純物を除くため、塊にした鋼を何度も折り返して「向こう鎚」で叩いていく。日本刀の粘りと強度につながる要の作業。
4)甲伏せ
玉鋼は硬い「皮鉄(かわがね)」と、軟らかい「芯鉄(しんがね)」に分けられる。刀の表層になる皮鉄をU字型に折り曲げ、芯鉄を包み、熱しながら打ち伸ばす。
5)焼き入れ
甲伏せした刀を炉で800度程度まで熱し、水槽の中に入れ急冷する。刀を硬く仕上げるための作業。焼き入れにより日本刀特有の波模様「刃紋」や、刃全体が緩やかなカーブを描く「反り」を生じさせることができる。
日本刀は、主にこの5つの工程によって作られます。山村さんのように、日本刀を作れる専門の職人は「刀匠」と呼ばれ、現在全国に約200人いるそう。
ただし、作刀は許可が必要で、刀匠のもとで連続して5年以上修業したうえで、都道府県の教育委員会の推薦を取り付け、さらに文化庁主催の「美術刀剣製作技術保存研修」を受講し修了しなければなりません。また、一人あたり月に2本までしか制作できないなど、国によって厳しく管理されています。
若かりし頃はグラフィックデザイナーを目指していた
―― 山村さんは23歳のときに、靖国神社に納める日本刀を手掛けていた刀匠のもとに入門されたそうですね。五郎入道正宗から二十四代目にあたる刀匠の血統とあって、将来のことは早くから決めていたのでしょうか?
「いや、若い頃はグラフィックデザイナーになろうと思ってた。だから高校を出たら、御茶ノ水にある文化学院のデザイン部に入ったんだ。ただ、上手な人がいっぱいいて、とてもじゃないけどデザイナーで食べていくのは厳しいだろうなと」(山村さん、以下同)
―― 早めに見切りをつけた?
「そうだね。あと、やっぱり代々刀鍛冶の系統だから、跡継ぎの責任感も芽生えるようになった。デザインは割とすぐに忘れられちゃうけど、日本刀は1000年以上の歴史があって、時代を超えて残っていくよなと。美術品としての重みも感じるようになって。正直、これから先、日本刀だけで食べていくのが難しいのは分かってたけど、やっぱり日本刀は最高の芸術だなと思って、挑戦してみたくなったんだ」
武将とともに歩んだ正宗の歴史
―― そもそも、正宗が名を馳せたのはなぜだと思われますか?
「脈々と続いたからじゃないかな。鎌倉時代なんて、普通は3代続けばいい方だけど、家の先祖は強い武将につくことができたから生き残ったんだよ。刀鍛冶は戦闘員として見なされるから、武将が滅びたら一緒に潰されてしまう。でも、そうじゃなかった」
―― それはなぜでしょう?
「たとえば、小田原攻め(※1)の時に、徳川家康は関東に進出するつもり だったから、戦っている最中に正宗一門のところにヘッドハンティングのオファーをしていたらしい。それは、うちの先祖が関八州(※2)の刀鍛冶元締めをしていたから。正宗一門の一声で、刀鍛冶が集まるもんだから、味方に付けたくてしょうがなかったみたい。それでそのまま徳川幕府の御用鍛冶になれたから、いまに続いているんだよ」
(※1)関東に遠征した豊臣秀吉と後北条家との合戦。正宗は、五郎入道正宗の時代から、北城家に日本刀を納めていたため、征伐された北条家とともに滅ぼされてもおかしくなかった。
(※2) 江戸時代における関東8か国の総称
―― 現在では正宗は美術品としても一目置かれているようですが、名刀たる所以とは何だと思われますか?
「何をもって名刀とするか、定義は難しいけど、『実物よりも大きく見えるもの』『光りを放っているもの』、この2つを満たしているものじゃないかな。特に、初代正宗は光り方がすごいよ? 普通、ねずみ色にしか見えない刃の色が、銀色に輝いているからね。鉄が違うのか、きっと何かが違うんだよね。同じようなものが作れたら、人間国宝だよ(笑)」
挫折しそうになった修業時代。炭まみれになりながら磨いた技術
―― とはいえ、山村さんご自身も著名な刀匠でいらっしゃいます。修業時代には、どのような苦労をされましたか?
「日本刀の修業は、まず『炭切り』からはじまる。玉鋼に火が回りやすいように、細かく切る作業ですが、これがすごく難しい。『炭きり3年』って言われるけど、すぐにできるようにはならないね。手と目の感覚で少しずつ覚えていくんだ。午前中の大半は炭きりに費やして、あとは炉や工場の掃除。その時に、師匠がどういう仕事をやっているか、チラチラ見て少しずつ覚えていくわけ。丁寧に教えてもらえることなんてないからね」
―― 嫌になったことは……?
「もちろんしょっちゅうだよ(笑)。毎日炭で全身真っ黒になるし、なんでこんなことやってるんだろう……って。途中で、もうやめようかと何回思ったことか。でも、5年頑張れば、とりあえず国家試験を受けられるから、それを一つの目標にして堪えたんだ」
―― いま修業当時を振り返って、無駄じゃなかったと思いますか?
「そうだね。炭切りを通して、炭の性質を学ぶことができる。『折り返し鍛錬』の時にはこれ、『焼き入れ』の時はこれというように、同じように見える炭でも適したものを選べるようになる。日本刀を作るにあたっては、玉鋼はもちろんのこと、炭が命と言ってもいい。たとえば、コックさんの修業でも皿洗いからやらせるでしょ? あれは、ただ雑用をやらせているだけじゃなくて、皿にどういう盛り付けをするべきか、考えなくても瞬時に判断できるようになるためだよね。それと同じ」
刀匠は目が命。熱した鉄の色で作業を見極める
―― 刀匠の資格を取られてから、すぐに独立されたのですか?
「資格を取ってからも、5年くらいは師匠のところにいたね。というのも、工房の場所が違うと、熱した鉄の色が違って見えてしまうから。目で見た色で温度をはかりながら作業を進めるので、場所を変えると上手くいかない。当時、正宗工芸製作所には叔父がいて、俺もたまに顔を出して作ってみることはあったけど、最初は失敗ばかり。これに慣れるのが大変だったので、資格を取ったからすぐに独立とはならなかった」
―― とても繊細な感覚が必要なのですね。
「そう。ただ、昔ね、大酒飲みの刀鍛冶がいたんだけど、すごくうまいんだよ。彼にあやかって、一杯飲んでから作ってみようと思って、焼き入れのときに酒盛りやっちゃったわけ。そしたら全然だめだったね。まるっきり違っちゃって、大失敗した。彼には酒を飲んだくらいが良かったのかもしれないけど、俺は無理だったね」
―― 真面目に作ったからといって、いいものができるわけでもないんですね。
「いやー、刀は難しいよ。わずかな傷ができたら、もうそれでおしまいなんだから。あと、『折り返し鍛錬』のときに、鋼を合わせて作っていくんだけど、その合わせ目がきちんとくっつかずに中に空気が入っちゃうと、研いだときに気泡が出てくるわけ。そうなったらもうダメ。5本作って、ようやく1本上手くできればいい方っていう世界。昔、寒川神社の御神刀を任されたんだけど、8本作って、そのうち納められたのは2本だったね」
―― 厳しい世界なんですね……。ちなみに、他の人生を考えられたことってありますか?
「あるけど逃げ場がないからね。なにしろ、もともとうちは刀鍛冶ってのがあるから。親戚にも同業者の仲間にも潰すなって言われて、どうしても責任感が出ちゃうっていうか、そこが大変。本当にやめたい時もあるからね。1年間、一本もいい刀が出来ない時もあるんだから」
伝統を絶やしたくない――二十四代目にのしかかる後継者問題
―― 日本刀を仕上げるまでには、刀鍛冶以外のプロも携わりますよね。
「日本刀も包丁も一人じゃできない。磨く人も研ぐ人も別で、それぞれ専門職。1本作るのに、最低でも3人は関わることになる。うちがお世話になっている人たちは、皆高齢だから辞めちゃたらどうしようかと。もう困っちゃうんですよね。下手な人だとデコボコしちゃうんだよ。こっちがいいものを作っても、ダメにされちゃうこともある。逆に、変な刀でもいい刀にしてくれるのがいい研ぎ師。我々からすれば女房みたいなものだからね」
―― やはり皆さん後継者がいない?
「そうだね。うちだって、息子がいるけど駄目だね。炭切りだけちょっとやらせたけど、逃げられちゃったもん。いまハワイで坊さんになってるよ。後継者問題は悩みだね。でも、この前娘の方の孫が来て、結構興味深々でさ。でも2歳なんだよ。早くしないとこっちは生きてないよって(笑)。何とか二十五代目を育てたいっていうのが本心だけどね」
―― 正宗の命運はお孫さんが握っているのですね。
「そうそう。でも、うちの場合は包丁が売れてるからなんとか食えてるけど、刀だけでやったらもう大変だよ。お金がないと何もできないし、人間性も悪くなっちゃうからね。日本刀を続けていくには、ライフワークをしっかりしてないと。跡継ぎを育てるうえでも、それが大事だと思ってるよ」