常識を覆す伝説の職人・岡野雅行さん(84歳)
「誰もできないことをやる。その挑戦の先に成功がある」
東京墨田区の下町に、世界のトップメーカーをはじめ、NASAや米国防総省などから注文が殺到する小さな町工場、岡野工業株式会社があります。同社を率いるのは、「金型の魔術師」とも呼ばれる超一流の職人・岡野雅行(おかの・まさゆき)さん。世界一細い注射針や、携帯電話の小型化を叶えたリチウムイオン電池ケースなど、不可能だと言われるような独自製品を数多く手掛けてきました。
「誰にも真似できない仕事をすること」をモットーに掲げる岡野さんは、江戸っ子を地でいく、豪快な生き様でも知られています。小学校を卒業以来、ひたむきに技を磨いてきた職人人生。その型破りな仕事観、そして「はたらくヨロコビ」に迫りました。
プレス加工を極めたオンリーワンの技術力
金属や樹脂を大量かつ均一に加工するために必要な「金型」は、工業製品の生産に欠かせない部品。自動車から家電、ビールの缶など、世の中には金型をもとに製造されるもので溢れています。技術的発展の土台を支えている要だと言えるでしょう。
岡野さんが得意とする「深絞り」という技術は、絞り加工と呼ばれる金属板の成型方法のひとつ。一枚の金属板から円筒・角筒・円すいなど、さまざまな形状の底付容器を作ることができるため、製品につなぎ目がないのが特徴です。プレス加工において、最も難しい技術なのだそう。
岡野さんは、父親が1935年に創業した岡野金型製作所の仕事を引き継ぎ、金型製作技術を研鑽。深絞りをはじめ、さまざまな分野の金属プレス加工の仕事を開始します。その後、1972年に二代目社長に就任。その高度な技術力は瞬く間に知れ渡り、業界をリードする存在になりました。
御年84歳ですが、まだまだ現役。大手メーカーのエンジニアやモノづくりのプロに、「最後の駆け込み寺」と絶大な信頼を寄せられています。現在、職人は岡野さんを含めて2人。 “言える範囲の”取引先は、ソニー、サンヨー、パナソニック、トヨタ、アイシン精機、デンソーなどなど名の知れた企業ばかり。少数精鋭ながら毎日「意見を聞かせてほしい」と工場に足を運ぶ人が絶えません。
金型職人の父の背中を見て育った幼少期
―― 岡野さんのお父様も、腕の立つ職人だったそうですね。
親父は茨城の竜ケ崎で生まれて、浅草の小島町ってところで年季奉公をしてたんだ。20歳の頃、親方から「お前はもう一人前だから、ここで働きつづけるもよし、一本立ちするもよし」と言われて、流れ流れて向島にたどり着いた。金型職人として独立して土地を買い、商売を始めた頃に俺が生まれたんだ。住まいと工場が一緒だったから、ずっと背中を見てきたってわけ。
―― 戦時中も、羽振りが良かったとか。
「当時は米がなくて、芋とか麺みたいな代用食ばっかりの時代だった。みんな食うや食わずだったけど、うちは親父の働きが良かったから腹いっぱい食えてたね。子どものときは鶏を3羽飼っていて、毎日卵を食べてたよ。友達にも分けてあげてたな。米、味噌、しょうゆも1年分は買い込んでた。いよいよお金が足りないときには、俺がそれを売りに行ったこともあったな」
―― お父様の存在があったからこそ、職人を目指されたのでしょうか?
「それはあるな。あと、俺は大の勉強嫌いだった。小学6年の時に日本が負けて、住んでいた一帯は全部焼け野原だよ。学校行ったって、生徒が10人くらいしかいない。毎日焼け跡の片付けばかり。先生がミカン箱に立って『日本はこれから民主主義だ』なんて言ってね。なんじゃそれって。だから勉強が嫌になっちゃったんだな。だから、学歴も“小卒”。早くから職人になろうって腹をくくってたんだ」
仕事の原動力は「人ができないことをやる」
―― 早くから現場で腕を磨かれてきた岡野さんですが、「人と違うことをする」という主義を貫いていらっしゃるそうですね。
「それが仕事の醍醐味だよ。うちには、いろんなところで断られたメーカーが、最後の頼みの綱を求めてやってくる。だから『やってやろうじゃないか』ってな。たとえば、最近オールマグネシウムのカバンを作った。これはなかなか難しい代物で、他じゃできない。売れば100万円だよ? でも、本当の狙いはカバンじゃなくて、飛行機なんだ。たとえば、機内のキッチンや椅子をマグネシウムで作れるようになれば、機体が軽くなる。職人ってのは、いま作ってるものだけを追いかけてればいいってもんじゃない。先を読まないと」
―― どうすればそうした能力が身に付くのでしょうか?
「日頃から先を読む訓練をすることだね。たとえば、技術力とは直接関係ないかもしれないが、落語を聞いたり将棋を打ったりすることも、いい訓練になるはずだよ。とくにこれから職人で食っていこうとしてる若い奴は、先を読む力はこれまで以上に大事になると思う」
糖尿病患者を救った世界一細い注射針
―― 岡野さんといえば、世界一細いインスリン用注射針「ナノパス33」を開発されたことでも有名です。岡野さんの金型・プレス技術があってこそ実現したそうですね。
「医療機器メーカー・テルモの注射針開発担当者が、2000年にうちを訪ねてきたんだ。全国に足を運んで、0.3ミリ以下の細さの注射針の開発を打診したが、そもそも技術的に不可能だって、どこも引き受けてくれなかったらしい。それで『よし、やってやろう!』と。結果、直径0.2ミリ、針穴の内径が0.08ミリの極細針をつくることができた。針の中もちゃんと研磨してあるから、液がうまいこと流れるんだよ」
―― すごい精密さですね! 毎日のインシュリン注射を苦にされていた糖尿病患者さんにとっては、岡野さんの針が救いになったのでは?
「糖尿病の子どもに、『ありがとう』って言われたときは、そりゃあ嬉しかったな。これ以上、職人冥利につきることはないな。もっと痛くないのを作ってやろうって思うね」
若い頃に苦労して完成させた「鈴」の技術を注射針に応用
―― そもそも他の職人さんができないことを、岡野さんが成し遂げられたのはなぜでしょうか?
「俺は、若い時に一枚の金板をプレスで切り抜いて、一切溶接せずに、曲げるだけで鈴にする技術を習得したんだ。何度も失敗しながら、金型を完成させるだけで1年かかった。だけど、いまだに俺以外にできる奴は誰もいない。この鈴の要領で、注射針も同じ要領で作れるんじゃないかと思ったんだ。だから、はなからできないって諦めたらだめなんだよ」
―― そもそも土台として、オンリーワンの技術力があったからこその成功だったんですね。ちなみに、岡野さんは図面を引かずに金型を作れるとか。一度見た図面は即座に記憶することができるそうですね。
「図面なんて引かなくてもいいんだ。それよりも技術力と観察力、発想力が 大事。最近は、みんなパソコンで効率よくやろうとするから、発想力がなくなっちゃう。自分の頭で考えて、イメージを湧かせる機会がないのはよくないね。あと、俺は図面を引かない代わりに、インプットにかけちゃ人並み以上かもしれない。ドイツ語で書かれた金型の本を読むこともあるよ。ドイツ語は全く読めないけどね。でも図さえあれば、どんな仕立てか簡単に分かる」
皆と同じことはしない。その心構えが一流へと押し上げた
―― では、岡野さんのような一流の職人になるためにはどうすれば?
「俺は煙草も酒もやらないし、先輩から『別荘と愛人は絶対持つな』って言われて、それを守っているからいまがあると思ってる。みんなと同じことをしたら、同じになっちゃうじゃない。俺はお前と違うんだってとこがないと。商売にもそれが滲み出るもんだよ。俺はフェラーリとかポルシェとか、人が乗らない車に乗ってきたけど、それも人と違うことをしてきたご褒美だと思ってるんだ。人と同じじゃつまんない、食わないもの食おう、着ないものを着ようって心掛けていれば、特別な人生が待ってるわけ」
―― 反骨精神が大事なんですね。
「そうそう。みんなが南に行くなら俺は北に行って見よう、それくらいの反骨精神じゃなきゃ。たとえば海外旅行にしたって、俺もハワイとかアメリカに行ってみたいって思うけど、それじゃ普通すぎるからジャマイカに行ってみるとかね。そういや、ジャマイカはブルーマウンテンのコーヒーが良かった。いまだに忘れられないよ。日本じゃまず飲めない味だ。そんな経験が人間を形作っていくんだ」
先が読めたと思っても全力で仕事をやり通す
―― 岡野さんのように仕事に没頭できず、楽しくない、辛いと感じている人はどうすればいいでしょうか?
「俺は、もとから楽しい仕事なんてないと思うよ。楽しさは自分で作らなきゃね。昔、カネボウと日航の社長をしていた伊藤潤二さんに、『お前は将棋も麻雀も上手くて先が読める。でもあまり先が読めるもんだから、100メートル競走の70メートルくらいで勝負を降りちゃうんだよ。それでも最後まで駆けぬけないといけない。そうすれば絶対成功するぞ』って言われたことがある。先が読めているつもりでも、とにかく突っ走ることが仕事で成功するうえで大事なんじゃないかな」
―― では最後に、岡野さんが一番「はたらくヨロコビ」を感じるのはどんな瞬間ですか?
「俺だって仕事をしていて、不平不満もたくさんあって、面白くないこともいっぱいあるよ。不公平だと思ったこともある。周囲からは成功しているって言われるけど、もっとこんなことがしたいと思うことばかりだよ。でも、ほとんどの人はお金を追いかけて仕事するのかもしれないが、俺は違う。いつだって仕事を追いかけてきた。だからこそはっきり『悔いなく生きてきた』って言えるよ。それが俺にとってのはたらくヨロコビなんじゃないかな」