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取材・文:末吉陽子(やじろべえ)  写真:小野奈那子

日本が誇るレア技術!ダイヤモンドに次ぐカタさ「超硬合金」の金型量産で世界と闘う

金属部品の加工になくてはならない工具「金型」。自動車や携帯電話、ペットボ トルなど、現代の生活で目にする製品のほとんどが金型をもとに生み出されています。一言で金型といってもその素材も種類も多種多様。製品の開発者が求める 金型を作るためには、長年にわたって培われた技術者のスキルが欠かせません。

しかし、事業者数は軒並み減少。1990年に1万3,115事業所あった国内の金型製造業は、25年後の2015年に は6,535事業所と、半数まで激減しています(経済産業省・工業統計データより)。そうした中、新たな技術を武器に勝負しているのが、東京鋲螺(びょう ら)工機株式会社。「超硬合金」を使った金型の量産に成功したことで、金型業界に新潮流を巻き起こした、知る人ぞ知る“小さな巨人”です。同社が手掛ける 金型について、そして日本のものづくりについて、高味寿光(こうみ・ひさみつ)社長に語っていただきました。

世界に先駆けて「超硬合金」を攻略! 強靭で丈夫な金型を量産できるように

――東京鋲螺工機ではどのようなタイプの金型を手掛けているのでしょうか?

当社は、1961年に創業しまして、「冷間圧造金型」をメインに手掛けていました。“冷間”“圧造”と聞くと冷やし て、圧力をかけて加工するのかなと思われるかもしれませんが、冷やすことはせず常温のまま圧力だけで加工する方法になります。ちなみに、冷間圧造で製造さ れているものの代表は、ネジ、ボルトです。1990年以降は、電気のエネルギーで金属を溶かしながら加工する放電加工機を導入。これにより「超硬合金」の 数ミクロンの精度で精密金型の製造ができるようになりました。

――その、「超硬合金」とは何でしょう?

メインの成分は、とても硬いがもろい「タングステン」と粘り気が強く、つなぎ材の役割をする「コバルト」、この2つを粉末状にして焼き固めたものです。これは、ダイヤモンドの次に硬くて、丈夫な金属なんです。

――なるほど。「超硬合金」で金型をつくると、どんないいことが?

たとえば、ダイス鋼という金型でネジを製造する場合、1分間に数百個も金 型の形に無理やり変形させるので、金型は強い衝撃を受け続け、たいてい数千個製造すれば破損するか、摩耗してしまいます。よって、交換の回数が多くなるな ど、消耗品としてのコストがかさんでしまうんです。厳しい加工環境において、金型が丈夫で寿命が長いことは、製品製造の効率化につながります。超硬合金が 金型材にすると、寿命が100倍から1000倍も延びます。
近年は、部品の軽量化、長寿命化のために、ステンレス、チタン合金など硬度が高く、加工しにくい材料が増えているので、衝撃、摩耗に強い「超硬合金」の金型材への活用が増えています。

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▲中心部分の色が異なるところが超硬合金。こちらは、「6角ボルト」の頭部分をつくる金型

――とすると、加工も大変そうですね。

はい、切削できません。なので、金型への活用が一般的になったのは、放電加工機が誕生してからです。それまでは、ダイ ヤモンドの砥石で加工する技術もありましたが、複雑な形状には加工できませんでしたし、手作りなので仕上がるまでに時間が掛かり過ぎてしまうというマイナ ス点がありました。

――放電加工機によって、スピード革命が起きたと。

いや、実はそこまで速くもないんですよね。放電による加工は、ダイヤモンドで砥ぐほどではないですが、熱エネルギーに より溶かしながら行うのでやはり時間と手間がかなり掛かります。写真のような6角穴加工には約10時間かかります。なので、当社では「超硬金型を低コスト で量産すること」を目標に、長年研究を重ねてきました。そしてついに2011年、世界初だと思われる、超硬合金金型の直彫りによる量産に成功したんです。 その金型を独自ブランドとして育成するため、「Tokyo-ACE」と名付けました。

――成功の決め手とは?

大きいのは、「最適な工作機械の導入」「工具の進化」「長年にわたり超硬合金の研究をしてきた蓄積」です。工作機械に ついては、非常に硬い金属を削るわけなので、主軸に大変な負荷がかかります。また、加工では摩擦熱も生じるため、連続加工を続けると室内温度が上がり、数 ミクロンレベルで形状変化が簡単に起こってしまいます。量産を目指すとなると、24時間連続で稼働したい。これらを満たす最適な工作機械は、なかなか見つ かりませんでしたが、工作機械メーカーの技術進歩によって、ようやく適当な工作機械を手に入れることができました。

また、工具はダイヤモンド製を使用します。ダイヤモンドは工業用でも大変高価です。また、もろいという弱点がありま す。そこで、工具メーカーに要望を出し続けた結果、進化したダイヤモンド製の工具が生まれました。工作機械と工具をベースに、長年培ったノウハウを掛け合 わせることで、量産化を実現させることができました。

言いにくいですが、製造コストは従来の放電加工とくらべ5分の1以下です。

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▲こちらが、超硬合金金型の量産成功を決定づけた工作機械。お値段は4,000万円。工作機械でもかなり高価な部類だそう

リーマンショックで廃業の危機! 頭脳と知恵で事業を立て直す

――ちなみに、それまで事業の柱は何だったのでしょうか?

世界最小ネジなど小ネジ用の金型です。スマートフォンやデジタルカメラなどに使われる極小のネジですが、これが収益の 9割を占めていた時期もありました。これも高度な技術なのですが、時を追うごとに中国製が台頭。安価で製造されるようになり、リーマンショック後、ソニー やパナソニックも海外生産、ネジの現地調達へ移行。最悪時は、受注が90%減少となり、このままではマズいという危機感もありました。そうした背景も、超 硬合金の量産化に踏み切るきっかけになりました。

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▲こちらがマイクロネジ。ペン先に入りそうなくらい極小だ。電化製品の小型化、薄型化にともない需要は伸びているものの、コスト競争が激しいという

――まさに、先見の明ですね。そういえば、社長は京都大学法学部卒、住友金属工業、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、投資会社を経て、東京鋲螺工機の社長に就任されたとか。めっちゃエリート!技術者というよりきっと企業再生請負人的な人ですよね?

あ、調べられたんですね(笑)。はい、私は技術者ではなく、経営企画担当としてキャリアを積んできました。ただ、企業再生は3社目ですので、請負人としてはまだまだ経験不足です(笑)。

――なぜ、東京鋲螺工機の社長になられたんですか?

投資会社時代に、日本のすばらしい技術を次世代に繋げるために、金属加工企業の買収を手掛けていました。
当社の存在を知って、世界に誇れる素晴らしい技術を持つ会社だなと思ったのですが、先代の創業社長に後継者がおらず、 社員のモチベーション低下も見受けられ、このままだと先は長くなさそうだなと感じました。投資会社に買収してもらい、再生を担う社長として派遣されまし た。さらに、折しもリーマンショックが重なった時期。何とか立て直しを図れないものかと。私自身、モノづくりが好きだったことや、ガキ大将気質だったので 組織に属して人に指示されるよりも、経営者になった方が向いていそうとかねてより思っていたので、じゃあ会社を受け継ごうと決断し独立。時間はかかりまし たが、なんとか会社を受け継ぐことができました。

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▲家業が建具屋だったことから、子どもの頃からものづくりに馴染みがあったという高味社長

――さらっと聞いただけでも、ドラマの主人公設定に採用されそうなお話ですね。すみません、脱線してしまいましたが、超硬合金の金型を量産できるようになって、経営状態もガラっと変わったのでは?

取引先については、50社くらいから、200社くらいまで増えました。

――え、すごいですね!敏腕経営者ではないですか。

いやいや(笑)。ただ、そこまで増やすまでには、かなり大変でした。大企業は当社のような中小企業をなかなか相手にしてくれませんから。

――と言いますと?

大企業と取引するにはまず実績をみられます。革新的な技術とはいっても、 これまでうちの金型を使ったことがないとなれば、別にこれまで通りでいいかとなってしまう。そこで、この技術は隠さずに公開し、新規開拓のため展示会に出 展するなど技術開発担当者に出会う機会を増やしたり、認知度向上のためホームページを整備して検索結果の順位を高くさせる、いわゆるSEO対策にも注力し たりと、売り込みについてはトライアンドエラーを繰り返しました。

――地道な努力あっての結果なのですね。

でも、ブレイクスルーしたのは、大学の研究室との共同研究成果を学会で発 表し、「Tokyo-ACE」が2013年に相次いで新聞と雑誌に取り上げられたときですね。『日経産業新聞』の1面トップや『日経ものづくり』など権威 あるメディアに掲載されたことで、うちの信用が一気に上がりました。結果、販路の拡大に大きな効果がありました。

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▲東京鋲螺工機の躍進を支えた権威あるメディア。記者役は滝藤賢一さんに演じてもらいたいなぁ

日本のものづくりは先人の遺産。これからはグローバルでもその強みを発揮したい

――取引先は、どのような企業ですか?

「Tokyo-ACE」は、自動車の「ベアリング」部品や「電気接点」という電動部品のような標準化された量産部品に 向いています。金型の寿命が従来のものと比べて約2倍だし、金型を100個もご注文いただいたとしても納入するまでの期間は、従来とくらべ5分の1程度だ からです。
電気接点とは、電気スイッチのオンオフに使われる部品で、自動車のワイパー、ラジオ、カーナビなど多く利用されます。なので、自動車1台に使用される個数はどんどん増えています。ちなみに、日本は電気接点を量産している、世界でも数少ない国なんですよ。

――金型は、日本の製造業を支える土台ともいえる技術ですが、他国の台頭も著しいですよね。

そうですね。いま世界人口は75億人を超えますが、日本は1億2,700万人ほど。なので、他国と比較して国内で安く てたくさん部品をつくれるかというと、これから先も厳しいかもしれません。しかし、素材や加工技術については、日本が常に先行しています。中国や韓国など アジア各国と広く取引をしていますが、いまでも日本の真似の域を脱していません。日本のモノづくりには、脈々と息づく極意があって、おそらくそれは固有の 精神性と関連しているため、一朝一夕には身につかないのだろうと思います。

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▲東京鋲螺工機では、20代の新卒社員から70代まで、幅広い世代が切磋琢磨して技術を高めている。皆さん、近くを通ると作業の手を止め挨拶してくれる。申し訳ないと思いながらも感動してしまった

――ちなみに、なぜ日本でそうした精神が根付いたと思われますか?

諸外国では、モノづくりは身分が低い人がする仕事だとされてきました。日本でも、はっきりした身分制度が敷かれた時代 もありましたが、たとえば刀鍛冶は自分の名前を刻むなどしていましたよね。そうしたことから察するに、自分の技術に誇りをもって、少しでもいいものを作ろ うとしていた強い気持ちがあったのではないでしょうか。その積み重ねが製造業においても、日本人らしい仕事に生きているのだろうと。,000種類ですね。

――なるほど。

その精神は、ビジネスの信用にも繋がっているんです。たとえば、ホーム ページ経由で海外のローカルメーカーとの取引が増えていますが、日本というブランドは世界で認められているので、初めての取引でもお金を前払いしてくれる んです。これは、インドの企業から注文を受けた時に言われた事ですが、「日本の企業は絶対に裏切ることがない。信用しているから前払いできる」とのことで した。これは、先人たちが誠意ある商売をしてきた遺産です。でも、これから先、先人たちの遺産を次世代に繋いでいくためには、我々の業界も国際化が必要だ と考えています。

――それはなぜでしょう?

やはりこれから生き残るには国内だけではなく、グローバルに目を向ける必 要があります。グローバルスタンダードを日本式にもっていけるように、積極的にアプローチすることで、世界に通用する確固としたブランド力が築けると思い ます。当社も損得ではなく、お客様が求めているものをいかに実現できるか、期待を超えるものができるかを考え抜いてきました。その結果が「Tokyo- ACE」にも繋がっています。もちろんビジネスではありますが、これからも利他的なマインドは大切にしていきたと思います。

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▲廃業寸前だったところから、いまでは若手社員も増え、2015年にはタイ工場も設立。「来年はM&Aを行い、4社目の企業再生に取り掛かり、金型業の経営ノウハウを横展開できるように頑張りたい」と高味社長。まだまだ快進撃は止まりそうもない