YOSHINOBU TAKAHASHI
CRITIC
はたらくことは
「生きている」こと。
あらゆる方面で刺激を感じられる。
元プロ野球選手・評論家
YOSHINOBU TAKAHASHI
CRITIC
野球は子どものころから続けていましたが、プロ野球選手という職業はずっと現実的ではありませんでした。プロ野球選手を目指そうと考えたこともなかったですね。
その意識が変わったのは、大学2年から3年に上がる頃です。自分と同じ桐蔭学園高校から慶応大学に進んだ2学年上の先輩がドラフト1位でプロ入りして、少し現実感が出てきました。その頃に大学の監督から「野球に対する向き合い方を変えるタイミングでは?」との話をされました。大学3年になると周囲も就職を意識して活動を始める時期。このときに初めて、プロ野球への就職を明確な目標にしました。ですが、まずは野球が大好きで大学に入ってきた仲間たちと4年間完全燃焼することが第一の目標です。プロ入りを目指して個人の力量を上げること、チームとしての目標を達成すること、この2つをしっかり両立しようと考えて野球に取り組むようになりました。
自分が一番得意とすることを仕事にできたことが、一番良かったことですね。
また、人前に出る仕事なので、自分が頑張ってきた成果を多くの人に見てもらえて、評価されること。活躍して認められた時は、他では味わえないような高揚感があります。たとえ不調になっても、自分のことなので自分でなんとかするしかない。自分自身で課題を解決しようとチャレンジしたり、工夫したりできることも、選手のよいところですね。
前に出る仕事ゆえの厳しさはありますね。やってきたことがすべて成果に結びつくわけではありません。また、野球のポジションは限られているので、成果を出せるかどうかは運に左右されることもあります。そのため、自分の評価と他人の評価が一致しないツラさがありました。
監督はマネジメント職なので、ポジションや打順などを自分の思うように人事配置できます。これがうまく回ってハマると面白いですよね。
しかし、思うように回ることのほうが少ないです。選手は人間なので不確定なところも多く、コントロールするのは難しい。また、一般の企業でも同じだと思いますが、権限があるぶん、責任も重いです。最終責任は監督なので、チームが勝てない時はやっぱり苦しいですね。
試合の解説や評論をしたり、小中学生対象の野球教室を開催したりしています。野球人口が減少しているので、少しでも野球に貢献できればと思っていますが、今はプレーではなくて言葉で伝えていかなくてはいけない。言葉で表現することは難しいですね。
プロに対してはニュアンスで何となく伝わることも、子どもに対しては理解してもらうための別の表現が必要なんですが、難しさを感じている真っ最中です。今後、現場に戻ったとしても、もう年齢も年齢なので体で示すことはできません(笑)。言葉で伝えなければならないので、今はそこを勉強しているところです。
選手としては、チームが優勝しても自分のパフォーマンスが悪ければチームを去らなければいけない。かと言って、チームが負けても自分のパフォーマンスが良ければOKというわけでもない。チームと自分自身を分けて考えることができないと、一流のプレイヤーになることはできないと思っていました。
また、人と比べないことも大切にしていました。私自身は割とドライな考え方をするタイプで、現実を受け入れて、自分自身を今より改善するためにどうしたら良いかを常に考えるようにしていたんですね。他人と比較して考えるのではなく、常に自分ごととして捉えて、自分を見つめ直す。自分が選んだ道だから自分が頑張る以外にないと思っていました。
小さいころから野球をする原動力は、家族です。少年野球から始まって中学、高校、大学と、戦う場が変わっても常に期待してもらっていたので、その期待に応えたいと頑張ってきました。
プロになってからは、ファンの応援に応えたいとの思いがモチベーションになりました。また、先ほどもお話しましたが、注目される中で活躍したときの高揚感は、何にも代えがたいものです。あの感覚をもう一度味わいたいと思い、モチベーションを高めていました。
いくつかありますが、まず最初のターニングポイントは高校に入学したときですね。野球部は寮生活だったので、親元から離れて自立心、協調性が養われたと思います。また、1年生のときから試合に出ていたので、やるべきことはやって認めてもらい、下級生でも試合に出ていることに対しても文句を言われることなく、祝福されて出られるようにしようと心がけていました。高校の中でも野球部は少し特別に見られているところもあったので、一般の生徒からも喜んで応援してもらえるように、普段の行動にも気をつけていましたね。
次のポイントは大学でプロを意識したときです。チームとして優勝を目指すことは当然として、野球を仕事として捉えると、自分が生きていくためには個人の成績をしっかり残さなければいけない、と取り組み方が変わりました。
松井秀喜選手との出会いもターニングポイントだったと思います。私が大学を卒業してプロに入ったとき、松井選手は高卒6年目ですでに中心選手でした。年齢はひとつしか違わないので、同年代がすでに中心選手として横にいることは刺激になりましたね。また、彼からは身体的にも精神的にも波を少なくして、常に同じ状態を保とうとしていることが伝わってきました。プロ野球はオリンピックのようにピークを一時期に合わせるスポーツではなく、長いシーズンを戦うスポーツです。長いシーズンを戦うとはどういうことか、彼から教えてもらいました。
一番好きで得意なことを職業にできたので、望んで入った世界でやりきろうという意識がプロ入りしたときから強かったんです。できる限りのことをしようと毎日必死だったので、転職を考えるタイミングはありませんでしたね(笑)。
選手生活を続けるうち、周囲から「ゆくゆくは指導者に」と言われるようになりました。それならば、誰もが納得して指導者という立場を与えてもらえるように、プレイヤーとしての時間を過ごさなくてはいけないと考えていました。
う〜ん・・・野球以外の仕事が思い浮かびませんね(笑)。野球の仕事になってしまいますが、メジャーに行く可能性をまったく考えなかったことは、少し後悔があります。当時は自分には無理だと思いこんでいましたが、自分で自分の可能性を狭める必要はなかったと今は思います。当時は巨人での野球をやりきることに必死だったのですが、もう少し柔軟な考え方があっても良かったですね(笑)。
今の時代は野球に関するさまざまなデータがあります。数字はウソをつかない部分もあるので、数字をもっと工夫して使えば野球がうまくなれるメソッドがあるかもしれない。プロ選手だけでなく、子どもたちに教えるときに使える具体的なものを作っていけたら良いなと思っています。野球だけではありませんが、子どもたちは成功体験がないと続けることができません。成功体験を増やせるメソッドを数字から作り出してみたいですね。
仕事をすることは「生きている」ことを感じられると思います。良いこともあれば悪いこともあり、いろいろな人と出会ったり、勝負をしたり。はたらくことは、あらゆる方面で刺激を感じられることだと思います。
いま私は47歳ですが、30代で転職を経験している同世代の仲間が多いです。そのとき思ったのは、目の前の仕事に一生懸命に取り組んでスキルアップすれば、転職をするタイミングが来るということ。そして、そのタイミングを逃さないことが大切だと思います。
タイミングに気づくために必要なことは、周りを見ることですね。私自身も選手時代に控えに回ったとき、周りを見て野球をするようになって違う世界が見え、野球観が変わりました。いま振り返ると、それはちょうど30代半ばでしたね。周りが見えるようになったとき、新しい道が見えると思います。
元プロ野球選手・評論家
高橋 由伸
Yoshinobu takahashi
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