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取材・文:末吉陽子(やじろべえ) 撮影:藤本和成

平安時代から続く伝統技法を守る甲冑師・加藤鞆美さん(83歳)
「日本の宝でもある世界で最も美しい甲冑を後世に残したい」

かつて合戦の際に用いられた、鎧や兜などの防具「甲冑(かっちゅう)」。その歴史は古く、古墳時代にまで遡ります。その後、平安時代には武士の台頭にともない「大鎧(おおよろい)」という、日本独自の甲冑が誕生。源義経をはじめ、平家の名将が身に付けていたとされています。
その特徴は、小札(こざね)と呼ばれる小さな革部品や、鉄板を連結したプロテクション、精密な伝統文様など、品格が漂うデザイン。日本の歴史上、最も美しい甲冑とも評されています。

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いまでは戦闘ではなく、観賞用として人気が高い「大鎧」。その伝統を支える職人が加藤鞆美(かとう・ともみ)さん、御年83歳。飽くなき好奇心と探求心を原動力に、平安時代から続く甲冑を現代に伝えています。五月人形やミニチュア甲冑なども手掛けているという加藤さんのはたらくヨロコビに迫りました。

11歳から父のもとで修業を開始。いつしか甲冑の魅力にのめり込んでいった

―― 経済産業大臣指定伝統工芸士や、東京都知事指定工芸士といった肩書を持つ加藤さん。日本を代表する甲冑師として活躍されていますが、なぜ職人としての道を選ばれたきっかけについて教えてください。

私の父親も甲冑を制作していたのですが、体があまり強くなかったので、7歳くらいの頃から仕方なく手伝っていました。それがきっかけになります。11歳くらいになると、そのまま本格的な修業がはじまって。ですから、手伝いを含めるとキャリアは70年以上になりますね。

―― お父様からは、どのようなことを学ばれましたか?

甲冑制作のすべてですね。父は、国宝の甲冑を後世に伝えていくために、「サイズを小さくしてでも同じ作りにして残しておいた方がいいんじゃないか」と考えていた人で、博物館から仏閣まで全国を訪れて、素材や技法などを追及していました。その根気強さは、いまの私にも通じるところがあるかもしれません。

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―― 加藤さんご自身も、平安時代の甲冑「大鎧」を研究、制作されています。特別な思い入れがあるのでしょうか?

「大鎧」は弓矢で戦う時代に発達した甲冑で、漆芸・板金・染色・組紐・皮革などの工芸技法の集大成ともいえます。革から金属まで、これだけ多岐にわたる甲冑は、世界中を見渡してもありません。なくしてしまったら日本の恥だという思いが強いんです。日本だけではなく、世界の損失になってしまうとすら思います。ですから、復元はもとより、現存している甲冑を修理するときにも、800年前の方法や素材を使わないといけないと思っています。新しい材料を使えば簡単に修復できるかもしれませんが、これまで守られてきたものが失われてしまう。さらに言えば、別の素材を用いたとして、これからの800年間、同じように維持できるか分からないわけですよね。

―― だからこそ、当時の素材にこだわることが大事なんですね。加藤さんは加工もすべて手作業で行っているとか。

そうですね。革ひとつとっても、牛・馬・鹿・猫の4種類を使い分けますので、どこに何を使うか分かっていないといけません。なので、しっかりとした知識が必要になります。また、金具も平安時代のものは、それ以降のものと微妙に作りが異なるので、より再現性を高めるには外注よりも自分で彫金した方が望ましいんです。

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自分に負けたくない一心で駆け抜けた70年の職人人生

―― 大鎧の伝統を絶やしてはいけないという使命感をひしひしと感じます。とはいえ、70年にわたる職人人生の中で、心が折れそうになったことはなかったのでしょうか?

それはありません。意地っ張りなんですよ。「負けるもんか」っていう感じ ですね。そう思うようになったのは、父親の一言がきっかけかもしれません。というのも、メッキ屋さんがなくて、自分たちでやらないといけなかった終戦直後、金属を指で押さえながら磨いていくもんだから指紋が擦れていって、ある時、縦に裂ける怪我をしまったんです。それを父に伝えて、「こんなわけだから作業ができない」と言ったら、「手を磨けとは言ってない」とばっさり。それからですよね、負けるもんかって気になりました。

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―― それは厳しい…。しかし、いくら負けん気が強いとはいえ、楽しさもなければ70年は続かないのでは?

もちろん、甲冑の世界を知れば知るほど面白くなっていったというのもありますね。たとえば、大鎧は「小札(こざね)」と呼ばれる皮革や、鉄製の短冊状の小さな板を紐で結んで板状にしていくのですが、その紐の組み方が無数にあるんです。ただ、いまの技術をもってしても、どうやって組んでいるのか分からない、複雑なものが4種類ほどあります。

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また、絵韋(えがわ)と呼ばれる、鹿の鞣革(なめしがわ)の上面を削り柔らかくして、文様を染めたものがあります。昔の人は文様を切り抜いた型紙を革に当てて足で踏み込み、浮き出た部分に染料を引いていました。絵韋の特徴のひとつに、水玉のような文様がありますが、よく観察すると不等辺六角形になっています。これは綺麗な円にしてしまうと、革に当てた型紙がはがれやすくなってしまうんです。そこで不等辺六角形にすると、はがれにくくなる。
細かいところですが、甲冑を構成する技法のすべてに奥深さを感じています。

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―― 甲冑を制作するうえでは、研究も欠かせないのですね。

より本物に近づけるためには、時代考証や実物を目にすることも大切です。写真集もありますが、やはり裏側がどうなっているのかとか、細かい技法を知るためには、実物を見なくては分からないこともあるんです。なので、甲冑の展示会があるときは、必ず足を運び、立ちっぱなしで、丸一日デッサンすることも。京都など、遠方で開催されるときには、二往復したこともありますよ。

息子と孫、3代で日本古来の甲冑を守る

―― 現在では節句用のミニチュアサイズを主に手がけられているとのことですが、原寸大の大鎧を作られることもあるのですか?

はい、稀ですが甲冑の愛好家からのオーダーで、原寸大で復元することもあります。全て手作業で、数千枚の漆を裏表60回くらい塗りますし、1穴1穴に紐を通してつないでいく緒通しの作業も時間が掛かりますので、フルセットで作ると数千万円はくだりません。

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―― 長年にわたり甲冑と向き合ってこられた加藤さんですが、現在は息子さんとお孫さん、三代でお仕事をされているんですね。

はい。でも、決して私が強制したわけではありません(笑)。息子も幼稚園の将来の夢で「兜屋さんになりたい」と書いていましたし、孫も中学生の頃にテレビ取材で「甲冑師になりたい」と答えていました。二人とも都立工芸高校を出て、息子は3年ほど彫金師のところで修業をさせてもらい、孫はいま21歳ですが卒業してすぐ制作に携わっているので、職人歴は3年目になります。

―― 後継者不足に悩む職人さんも多い中、とても心強いですね。

そうですね。基本、後継を強いるのではなく、高校や大学も、本人が希望する進路を応援すればいいと思うんです。ただ、2年でも3年でもいいから、若いうちに自分のところの商売の基本だけ覚えてもらうことは重要。あとは、どこへでも就職していいよと。それで、もし仕事に悩んだり、リストラされたら戻ってきてもらえばいい。体で覚えたことは、そのまま使えるんですよ。たとえるなら、自転車のようなもので、子どもの頃に自転車に乗れるようになれば、大人になってからも乗れるんです。

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―― 確かに、子どもの頃に家業を手伝ってもらうというのは重要かもしれませんね。

いまは、学校も仕事もいろんな選択肢があります。ただ、机上の空論になってしまっては意味がないと思います。たとえば、メッキなんかでも、水の温度や外気温によって同じ金色でも、全然色が違って出てくるんです。実際にやってみないと分かりませんから。あとは、「この技術はあそこにしか頼めないよ」、と言われるくらいの力をつけておけば、どこにいても仕事には困らないはずです。

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―― では、最後に加藤さんのはたらくヨロコビを教えてください。

兜が欲しいと注文いただいた方が、だんだんとマニアになって、色々な本を集めるうちに下の鎧も全部揃えてほしいとおっしゃってくださったことがありました。そういうオーダーはとても嬉しいですね。また、「30年前に買ったんだけど、修理してもらえないか」という注文があると、大切に使ってくださっているんだなと、ありがたくなります。ただ、大切にされすぎても、新しいものが売れなくなっちゃうので良し悪しですけど(笑)。いまは、自分が習得してきたことを次の世代に渡すことを大事にしていますが、生涯現役を貫きたいとも思っています。