「大嫌い」から一転、染物職人・三冨由貴さんが知ってほしい「手染め大漁旗」の魅力
漁船の上にたなびく色とりどりの「大漁旗」。陸にいる家族に無事や大漁を知らせるための目印であり、漁師のシンボルです。そんな大漁旗を江戸時代から現在まで制作し続けているのが、三冨染物店(神奈川県三浦市)。現在は、7代目の三冨由貴(みとみ・よしたか)さんが、そのワザを受け継いでいます。
絵が苦手で不器用だった子どもが職人の道へ身を投じ15年。腕を磨きつつ、家業の灯を消さぬよう手染め大漁旗の新しい可能性を模索し続けています。そんな三冨さんの「はたらくヨロコビ」に迫りました。
“江戸幕府御用達”の職人技
現在は機械を使って印刷する大漁旗もありますが、三冨染物店のそれは全て手染め。かつて、徳川家の御用職人として幕府軍の幟(のぼり)を作っていた時代の技法を、今も守り抜いています。
こちらが伝統的な大漁旗。無線などがない時代、魚の取れ高を港の家族や仲間へ知らせるためのもので、認識しやすいよう派手な色使いと大きな文字で描かれている
まずは、三冨さんのお仕事を拝見させていただきました。
最初の工程は「糊置き(のりおき)」。もち米と糠を釜で煮た「糊」を筒に入れ、絞り出すようにして布に絵柄をつけていく作業
右手に持っているのが、糊を絞り出す筒。筆で描いた下絵を丁寧になぞっていく
糊が乾いたら、筆を使って布に染料をのせる。筆は消耗品だが1000円以上するという
染料の色は多種多様。赤だけでも組み合わせによって数十種類にのぼる。目立ってなんぼの大漁旗ゆえ、原色に近い色味が好まれるそう
彩色後、「旗棒」と呼ばれる棒をしならせて、布をピンと張り乾かす。天日干しが一番だが、雨の日はヒーターで丸一日乾かす
美術は劣等生「絵は苦手だし嫌いでした」
―― 江戸時代から続く職人の家に生まれ、大学卒業後すぐに家業を継がれたそうですね。子どもの頃から大漁旗職人になると決めていらっしゃったのでしょうか?
「いえ、じつは後継者になろうとは全く考えていませんでした。というの も、昔から本当に絵が苦手でしたから。中学の美術の授業で自分の腕をスケッチするテストがあったんですが、すごく練習したのに先生から『真面目に描いてるのか?』って言われたほど。通知表の成績も散々で、10段階評価で2を取ったことがあります。とにかく美術は大嫌いでしたね。ですから高校生くらいまでは『絶対に継がない』なんて言っていました」(三冨さん、以下同)
―― では、気持ちが変わったのはいつですか?
「大学に入り、将来を考え始めた時ですね。仕事というものについて初めて真剣に悩んでみたら、家業の魅力が分かってきたんです。子どもの頃から両親の仕事を間近で見てきて、真っ白な生地からひとつの製品が出来上がっていくところや、お客さんの喜んでいる姿など、改めて思い返すと素晴らしい仕事だと感じられる部分がたくさんあった。
それに、大学は経営学部だったので、これからいかに大漁旗を売っていくかという、ビジネスとしての面白みもあるのではないかと思いました。それで、とりあえずやってみようかと」
なお、両親も現役の職人。親子3人で伝統の技を守っている
15年、ひたすら技術を磨いた
―― それで、大学卒業後、イチから修業を開始されたわけですね。修業の中で何が一番大変でしたか?
「大変というより奥が深いのは糊を作る工程ですね。今朝も作りましたけど、1週間くらい煮るんですよ。糊は染料屋でも売っていますが、やはり理想の固さがあるので自分で作りたい。夏は柔らかくなりすぎないよう糠を少なくしたり、冬は逆に柔らかくしたり、季節によっても微妙な調整が必要です。糊置きはこの仕事の最も重要な工程の一つなので、まずは良い糊を作れるようになることがスタートですね」
―― 時間をかけて試行錯誤しながら、最高の糊を作り上げていくと。
「そうです。たとえば、昔は薪を使って火を入れていたんですが、ある時から炭に変えてみるなど、自分なりに改良はしています。炭だと煙も出ませんし、日持ちも良い。ただ、15年やっていても未だにうまくいかないこともありますよ。だから奥が深い」
―― 糊置きが重要とのことですが、ここでミスしたらやり直しですか?
「いったん布に糊がつくと染料をはじくため、後工程で色が乗りにくくなります。そのため、糊を置く分量や場所がズレると大きくは直せません。一発勝負に近いですね。だからといって、のんびり作業もできない。糊置き後は素早く裏返して刷毛で水をかけ、布に糊をしっかり溶け込ませる必要があるので、スピーディーかつ正確な仕事が求められます」
―― 複雑な図柄になると、糊置きも大変そうですね。
「小さな旗の方が細かい線になってくるので、より高い技術を必要とします。また、最近はお子さんのお祝い用の室内飾りの需要も増えていて、こちらは名前や生年月日など細かい文字を入れるぶん難易度は高いです」
―― 糊置きが終わったら、いよいよ彩色。職人としての技術が問われる糊置きに対し、彩色はセンスが問われる工程ですよね。色の使い方で、工夫している部分はありますか?
「さまざまな配色にトライするようになりました。思い切って地色をピンクにしてみたり、あとは波の濃淡とか本当に微妙なところなんですが新しい色を使ったり、ぼかしてみたり。もともとセンスがあった人間ではないので、これはもう、日々勉強ですね。この道に入ってから美術館に行く回数も増えました。最初は仕事のためでしたが、今は純粋に絵を見ることも好きになりましたよ。昔は大嫌いだったんですけどね(笑)」
大漁旗としての迫力、華やかさを出しつつ、バランスの良い配色を意識
―― 苦手だったからこそ、必死で研鑽を積まれてきたわけですね。今後、職人としての目標はありますか?
「15年やっていますが、職人としての技量はまだまだです。自分のこだわりを出せるような段階ですらなく、まずは全ての工程を完璧にこなせるようにならなくてはと思っています。今は糊置きを極めること、それが目標ですね」
手染め大漁旗を多くの人に知ってほしい
―― 三冨さんは職人であると同時に経営者でもあるわけですが、大漁旗以外の展開も考えていらっしゃるのでしょうか?
「そうですね。たとえば、漁師さんだけでなく、個人の方のさまざまなオーダーも受け付けています。お子さんの節句の旗、結婚式、飲食店の開店祝いなどが多いですね。特に子ども用の旗の注文は増えていて、5月の節句の時期は1年で一番忙しいくらいです」
節句用の祝い旗。柄やデザイン、色彩など、一つひとつ細かくオーダーを請ける
―― そうなると、魚以外にも、さまざまな絵柄やデザインの引き出しが求められますね。
「特に、子どもの旗は変わったデザインの要望も頂きます。たとえば、金太郎がクマに載っている柄があるんですが、クマを十二支に代えてほしい、とかですね。ただ、お客様のご要望にお応えしつつも、昔ながらの手染め大漁旗のエッセンスは残していきたい。動物ひとつとっても大漁旗らしいデザインや色彩、表現方法があるはずですから」
クマではなくコイに乗った金太郎など、ユニークな柄も
―― それは大漁旗職人としての誇りなのでしょうか。
「誇りもありますが、それ以上に大漁旗という仕事を一部の世界だけでな く、一般に広めていきたいんです。よく『漁師じゃないけど作ってもらえるんですか?』と聞かれますが、ぜひ気軽にご相談いただきたいですし、そのためにも 敷居を下げる努力はしていかなければならないと思っています」
―― 敷居を下げるために取り組まれていることはありますか?
「一つは大漁旗作りのワークショップですね。今年の夏、横須賀美術館が開館10周年で『美術でめぐる日本の海』という展覧会を開催したのですが、うちもお声掛けいただき、大漁旗を出展しました。その際にワークショップも開催したんです。
あとは、この工房でもミニ大漁旗の制作体験をやっていますし、他にも、三浦市が修学旅行の誘致を頑張っているので、市と連携してクラス旗作りをメニューに組み込んだりもしていますね。30人くらいで1枚の旗を染める体験はいい思い出になるようで、僕が代を継いでから10年以上は続いています」
地元「三崎まぐろ」にちなんだ、まぐろ手ぬぐい。他にも、大漁旗風のトートバックなど、日用品として身近に手に取ってもらえるグッズを販売している
―― かつては距離を置き「絶対に継がない」とまでおっしゃっていた職人の仕事に、今は強い誇りと愛情を持っている。自分を変えた最大の要因は何だと思いますか?
「それはやはり、仕事で得られる喜びですよね。どんな仕事にも喜びはあると思いますが、僕の場合は旗を大切に使ってもらえたり、感謝の言葉をいただけたりした時にそれを感じます。先日も誕生日記念の旗のお礼にと、お子さんの写真とお手紙を送っていただきました。
職人の世界は非効率かもしれませんが、手仕事だからこそ愛着を持ち、一生の記念にしてもらえる。だからこそ、手染め大漁旗の灯は消したくない。これからも、大漁旗の新たな可能性を模索しながら、技術を磨いていきたいと思います」