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取材・文:末吉陽子(やじろべえ) 撮影:藤本和成

伝統を未来につなぐ2代目べっ甲職人・大澤健吾さん(54歳)
若い世代の感性を取り入れ、求められ続けるべっ甲メガネを手掛けたい

美しいまだら模様や艶、手触りの暖かさ、独特な風合いが魅力の「べっ甲」。ウミガメの一種である玳瑁(タイマイ)の甲羅や爪(甲羅の緑)などを加工した素材で、アクセサリーや小物細工をはじめ芸術品の装飾に用いられてきました。

日本におけるべっ甲の歴史は古く、さかのぼれば飛鳥・奈良時代、小野妹子が隋(ずい)から持ち帰った献上品にべっ甲の美術品も含まれていたとか。江戸時代には、長崎を中心にべっ甲細工の技術が発達。現在でも、さまざまな商品に加工されています。

そんなべっ甲を用いたメガネを手掛けているのが、東京・千駄木にある「大澤鼈甲(おおさわべっこう)」。若手の職人も多く集う工房を取り仕切るのが、2代目の大澤健吾さん(54歳)です。

べっ甲メガネといえば、ひと昔前まで年配の人がかけていたイメージですが、大澤鼈甲では伝統を継承しながらもトレンドを意識したメガネを製作。最近では、若者向けのメンズファッション誌でも頻繁に取り上げられるようになったといいます。時代を超えて人々を魅了するべっ甲の魅力を今に伝える大澤さんの“はたらくヨロコビ”に迫りました。

色や模様の個体差を見極めながら仕上げるべっ甲メガネ

南方の海域やカリブ海、インド洋などに生息する玳瑁(タイマイ)から作られるべっ甲。半透明と黒褐色のまだらがある甲羅と爪(甲羅の縁)、そして腹甲を巧みに加工、細工します。まずは、その作業工程を見学させていただきました。

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べっ甲の色は大きく「柄があるもの」と「柄がないもの」に分かれます。柄がない「白甲」や「オレンジ甲」は希少性が高くなります。

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最初に、柄や色味のバランスを見ながら型を描いてフレームのパーツを切り出していきます。

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「がんぎ」と呼ばれるべっ甲専用の道具でパーツを整えていきます。

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パーツを合わせて水に浸し、熱した金板に挟んで張り合わせると、膠(にかわ)と呼ばれるゼラチン質の成分が接着剤代わりとなってくっつきます。微妙な温度調整が必要なうえ、硬いものから柔らかいものまで個体差があるため、熟練の技が必要なのだとか。

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張り合わせたものをヤスリや小刀で整えます。手作業に加え、工業製品としてのメガネの精度を高めるべく、工程の一部に機械を取り入れています。

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最終的には、職人の手の感覚を頼りに柔らかい素材で研磨。艶を出して完成です。

繊細な技巧により生み出されるべっ甲メガネと、30年近くにわたり向き合ってきた大澤さん。続いて職人の道を歩むきっかけ、仕事に懸ける思いについて伺いました。

父親がべっ甲職人じゃなければ今の自分はいない

―― 大澤さんは2代目でいらっしゃいますが、べっ甲メガネの職人として生きていこうと決めたのはいつ頃のことでしょうか?

大学を卒業する頃でしょうか。僕は3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいました。父は長男に継がせたいと考えていましたが、兄には他に目指している道がありました。一方の僕はというと経済学部で学んでいたものの、これといって明確な将来像もなく、父から卒業後は家業を手伝って欲しいと言われ、自然な流れで職人の道を歩みはじめた感じですね。正直、家業でなければ今の自分はいないと思います。

―― 修業をはじめて、どのような苦労がありましたか?

甲羅は一つとして同じものはなく千差万別。難しい素材ですが、明確な型が決まっているメガネになることをイメージして、設計図も書かずに組み立てていかなくてはいけません。一番苦労したのは、切り出したパーツをくっつけていく「張り合わせ」です。金板が熱かったりすると焦げちゃって、おせんべいみたいに膨らんで駄目になってしまう。金板の温度と万力(べっ甲に圧力をかけるための道具)を閉めるタイミングの合わせ方も難しい。最も技術力が求められる工程ですから、習得するまでは苦労しました。当時は、年配の職人たちの作業を「見て覚える」ことが基本だったので、とにかくじっくり見ては、繰り返し手を動かしましたね。それでも、未だに上手くいかないこともしばしばです。

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―― べっ甲を使った製品は色々ありますが、メガネならではの難しさはありますか?

べっ甲職人がベースとする技術は同じかもしれませんが、昔からアクセサリーや工芸細工など作るものによって棲み分けられています。うちはアクセサリーも手掛けていますが、注意する点は全く違いますね。メガネは工業製品なので、規格に沿わなくてはいけません。たとえば、左右対称じゃなきゃいけないとか、軽さも考えないといけないとか、より緻密さを極める技術力が求められると思います。

―― べっ甲のメガネを買う人は、こだわりが強そうなイメージです。工業製品としての正確性に加え、そんな人たちから選ばれるための「独自性」も必要ですよね。

そうですね。ですから、それぞれの職人が持つ感性がすごく重要です。大まかなデザインや形は一緒に見えても、角を鋭角にするかとか、やや丸みを帯びた感じにするかとか、細かな部分で職人のこだわりが出る。個々の感性が生かされやすい最終的な仕上げの部分で、差がつくのかなと思います。

伝統は時代とともに変わるからこそ存在している

―― 大澤さんは30余年にわたって培われた技術力もさることながら、若者ウケするべっ甲メガネのデザインにも挑戦されています。若者向けのファッション誌にもよく取り上げられていますよね。

基本的にメガネって流行りがありますよね。トレンドをちゃんと自分の中に取り入れて、べっ甲に落とし込んでいくことが大切だと思っているんです。僕が修業していた頃、べっ甲のメガネは主に高齢な方々の愛用品で、デザイン的にも自分が欲しいものがありませんでした。ですから、今は若手メガネデザイナーと協業し、自分の中にあるイメージを伝えてデザイン画を描いてもらい、製品化を進めています。また、べっ甲メガネをより多くの人に知ってもらいたいので、ブランドとのコラボにも取り組んでいます。

―― ただ、べっ甲のメガネは高価ですよね。なかなか手が届かない人も多そうです。

そうですね。やはり材料の値段も高いので、おしゃれさだけでは勝負できません。ただ、着け心地はピカイチですし、風合いに価値を感じてもらえた方には「次もべっ甲がいい」と思っていただけるはずです。ですから、まずは実際に手にとって使っていただくため、べっ甲ならではの良さを広めていきたい。掛け心地の良さ、日本人の肌に合う独特の色合い、プラスチックには出せない透明感など、分かる人には分かるクオリティを発信していくことが大事なのではないかと思っています。

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―― 大澤さんは職人であると同時に、経営者でもいらっしゃいます。伝統を継承していく重みも一層感じていらっしゃるのでは?

やはり会社ですから、継続していかなくてはいけません。職人一人であれば、オーダーに合わせてマイペースに作るだけでも食べていけると思いますが、組織としては立ち行かない。長い歴史を持つべっ甲製品ですが、時代とともにかたちを変えていく必要を強く感じています。
自論ですが、伝統工芸品はなぜ伝統工芸品になり得るかというと、その時代にあったものをずっと作り続けてきたからではないかと思います。たとえば、昔はべっ甲のかんざしがたくさん作られていましたが、着物が着られなくなったいま、アクセサリーやブローチなど違う形に変わっています。現在は、全体的に若い世代のべっ甲職人も以前よりも増えているので、彼らのアイデアや感性に刺激を受けながら、変えるべきところは変えていかないと。

―― 「大澤鼈甲」は若手の職人さんも多いですよね。

そうですね。20代や30代も在籍しています。家具職人を目指していた人や、営業をしていた会社員などバックグラウンドもさまざまです。共通しているのはモノづくりが好きで得意だということ。製品のアイデアだけではなくメガネづくりのプロセスにおいても、自分では思いつかないような提案をしてくれます。また、今の若い人たちはすごく研究熱心だなと。技術的なところはある程度の経験が必要ですが、どうすればいいものが作れるかを考える能力が高いと感じます。

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べっ甲の存続のため養殖にも取り組む

―― 大澤さんは、玳瑁(タイマイ)の養殖にも取り組んでいらっしゃいますよね。

現在、玳瑁(タイマイ)は輸入禁止になってしまったので、養殖をするしかないと石垣島でスタートしました。国から補助金も受けて10年近く養殖の研究をしています。2017年4月からは業界で出資を募って会社組織にしました。べっ甲として使えるまでに成長するには10年程度の歳月が必要なので、材料の安定供給に至るまでにはまだ時間が掛かります。べっ甲業界全体の取り組みにより、ようやく事業化一歩手前までこぎつけましたが、伝統を絶やさないためにも研究しないといけないことが、まだまだたくさんあります。

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―― 考えることが山積みで、大忙しですね。

そうですね。あとは、いくらうちには若い職人が多いといっても、業界全体で見れば後継者不足。現在、東京に約30人弱、長崎に約20人の職人がいますが、そのほとんどが一人で仕事をしているベテランです。しかし、若い人の中にも職人になりたいという人も少なくない。現にうちの息子は24歳でいま会社員をしていますが、後継者になってもいいと言ってくれています。そのためにも、息子たちの世代がきちんと引き継げるように、べっ甲メガネが将来にわたり必要とされる工業製品である必要があると思うんです。

―― では、大澤さん個人が、べっ甲職人としてはたらくヨロコビを感じるのはどんなときでしょうか?

一番は、やはりお客様がメガネを購入してくださるときでしょうか。自分が手掛けたものに価値を感じていただけた瞬間でもあるのかなと思いますので、その喜びは何ものにも代えがたいですね。